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曽野綾子『人にしばられず 自分を縛らない生き方』(『夢を売る商売』〈真砂まんじゅう〉)

私たち母娘は、表向きは平静に、知人の家を探しあて、冷遇とは言えないほどの微かな冷たさで、ろくろく掃除もできていない部屋に通してもらったのだが、私たちはそこで海を見ながら、一週間も暮らした。今となっては、もう笑い話の種にしかなりそうにないが、母も私も、もしかすると二人はそこで死ぬかもしれないと考えていたのだ。二人ともその頃、或る事件にぶつかって、理屈も何もなく生きることがめんどくさくなっていた。
私は故意に、その事件をかくしている訳ではない。しかし、どこに家でも、家族の誰かが死を考える瞬間がなくはないだろうし、しかしそれでもなお、大ていの人が死にはしないように、私たち二人もどうやら生きたのである。
第一、他人に自殺でもされたら、その別荘の人はどれだけ迷惑か知れないではないか。そんな常識的なことを考えた時には、私たちは危機を脱していたのだろう。私たちは一週間の間、自炊することになっていたが実は水を飲んでいただけで、殆ど食事らしい食事をしなかった。死ぬのはやめることにして(こういう言い方をするとなんと喜劇的なことか!)もうしばらくやって見ようということになった時、私たちはようやっと立って、町まで《真砂まんじゅう》を買いに出た。バスに乗る時は、めまいがした。
ようやく、そのまんじゅうを十個ほど包んでもらい、もうバスに乗るにも力が尽きたように感じたので、二人は浜へでて、冬の陽にあたたまった漁船の船縁の荒い木の上に坐って、まんじゅうを黙って食べた。私は又ちょっと泣いたが、本当は笑い出したいような気持でもあった。そしてその日以来、なぜか私は、茶色いまんじゅうの方が好きになった。
なぜ人間は、来る日も、来る日も、まんじゅうをふかしたり、来る日も来る日もものを書いたりするのか。私はそれを思うと、悲しくてたまらなくなる時がある。しかし、それはそれでいいのであった。それが生活というものの本質なのであった。
英雄という言葉を時々ひどく空々しく思う。偉人という言葉をかさかさに乾いたものに感じる時もある。しかし来る日も来る日も何か同じことをしつづける人はいつもあたたかく湿っている。私はそういう暮らしがいつの間にか好きになった。

曽野綾子の家は

父親が癇癪持ちで夜通し怒り続けるなど

地獄のような家であったという。

顔についたあざは箪笥にぶつけたなどと言っていたという。

小心者であるのにプライドが高い人は

外面は良くても

自分の精神の均衡を家の中で保とうとして

家族に当たり散らす。

それが子どもであっても容赦しない。

それで

一度、母親と自殺を考えたことがあったという。

この話は、そのことを背景に書かれたものだろう。


他人に迷惑をかけることになるとか

おなかがすいたから何かを食べるとか

を考えることができるようになったら

その危険性がうすらいできたと言える。


真っ暗闇の中で

何も見えず

もがけばもがくほど

何も見えなくなっていき

その苦しみから

逃れることが目的となる。


しかし


二人で立ち上がり

バスに乗って

町で茶色のまんじゅうを十個ほど買い

冬の温かい陽ざしの中

漁船の温かい船縁に坐り

小さなまんじゅうを黙って食べる。


生きることを選んだ。


ちょっと泣いて

でも笑いたいような気持ち。


周りの景色が

穏やかに変わって見えてくる。

あたたかな空気となる。


世の中で英雄と思われなくともいい。

偉人なんて真実を知れば

裏では酷いことをしているものだ。

かさかさしている非情な感じがする。


それよりも

毎日同じことを繰り返している人々の暮らしは

穏やかで温かいことに

気がつく。


そんな生活が

実は

ほんとうに

愛おしいものなのだ。



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