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曽野綾子『魂の自由人』「翼か鎖か」

人間とお金との関係ほど、おもしろいものはない。
お金が、
人の世で或る人物の運命を縛る鎖にもなり、
見方を変えれば
同じ人物の魂の自由を得るための飛翔の翼にも成りうるからである。

曽野綾子の子どもの頃は、父親が家庭内暴力をして地獄のような環境だったという。父親の酷い仕打ちの多くのエピソードがある。父親は弱い人だったのだ。

弱いから家の中だけは威張り散らかさないと気が収まらなかったのだろう。弱すぎる人だったのだ。

そして娘が大学を卒業した後に両親は老年にかかったころ離婚している。その際には一切のものを父親に引き取ってもらったという。住んでいた家は曽野綾子が銀行から借金をして買い取ったという。

その離婚での自由を得るために必要だったのは、家を買い取るためにお金であり、今後の生活を支えるためにお金であった。

当時もらっていた原稿料があったことが支えだったという。

自身の結婚後の両親の離婚であり、夫が客観的に物事を見る人であったことで救われたようだ。

「働かないものは食べてはいけない」という原則は今でも少しも変わっていない。

それは決して働けない障害者にも肉体労働をさせよ、ということではない。

「人は、その分や能力に応じただけ、真剣に働くことが美しい」ということである。

変に切り取られると誤解されてしまう言葉。

そう考えると、働くということには労働だけではないということができる。

「働く」とは自分の能力に応じてできるだけするということであれば、今ここに「存在していること自体」だけでも「働き」であると言える。

労働することだけ、賃金をもらうことだけ、物質やサービスを生産することだけではない。

存在すること自体につまり、「生まれて今ここにいる」存在自体に働きがあると私は思う。

そのように考えないとお金を生み出すことだけに価値があるとなってしまう。

人間の存在には

命あるものの存在には

いや

この世の中にあるものの存在には

多くの価値があると思う。

人間の幸福は究極のところでは決してお金では完全に解決しない。人間を最終的に充たすものは、あやゆる矛盾に満ちた複雑な人間関係の要素なのである。

自己肯定感、達成感、連帯感、充実感・・・

しかし、それ以前に、お金で解決できる部分もある。

嫁が何もしてくれないと文句ばかり言っている女性がいるという。膝が悪くなっているので、外出時の荷物の重さがこたえるという。嫁は運転免許を最近取ったけれども、自分のために運転しようと申し出ないことが不満であるという。

その際には外出時にはいくらかにお金を遣いタクシーにでも乗ればいいのである。それで不満を持つこともなく幸せになることができる。

しかしこれは

お金の問題ではなく、自分の事に気を遣い、自分を価値あるものとして扱ってもらいたいのだ。自分自身では自分の価値を高く見ることができないからだ。だから、人の評価に委ねてしまうけれども、人は思うようには評価してはくれないから不満を持っているのだ。

自分のために少しばかりのお金を使うことを、自分で自分を許せばいいことなのに。

はっきりとものを言うことが大切だ。

できることはできると言う。

そして

できないことはできないと言う。

またいつならできるのかも言う。

これからもできないのであればそう言う。

そして

できないと言われれば諦めて別の方法を探す、試す。

他の人に頼む。

業者に頼む。

・・・

かげで不満を持ち続けても仕方がないのだ。


その時に必要なお金を使うということは、真の解決策となる。

お金に働いてもらう。

決して

お金に

働かされないように

支配されないように気を付けて。


自由にお金を使うということは

贅沢三昧という意味ではない。


自分にとって必要なお金を自由に使えることが

魂の自由人だというのである。

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