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アガペーは「無償の愛」

曽野綾子の『私の中の聖書』の「愛の四つの顔」の中の文章。


「神は、私たちに、肉親を愛するように敵を愛せとは決して言われなかった    のである。

私たちはよく知らない者を、あるいは憎しみを持つ相手を、

まるで、

親や子に対するような思いで愛するなど決してできない。 

できると言ったら、その人はある部分で嘘をついているお体裁屋か、

よほど鈍感な変人であろう。

それならば、長い間、敬愛していた友人のように、敵を愛せるか。

これも無理である。

・・・ 

 そこで神は、四番目の、ある意味で苦しみと自己規制に満ちた愛を、

私たちに命ずる。

『アガペー』と呼ばれるもので、これのみが、我々の考える最も純粋で献身的な愛なのである。

これは報いられない愛である。

心から自然にそうなるのではない愛である。

つまりこの愛は情ではなく、意志と理性によるものなのである。

・・・

強固な意志を持って、好きでもない相手を愛そうとし、

しかも、

その人の幸福のために祈るのが真実の『アガペー』の愛なのである。」

・・・

ギリシャ語には愛を表す四つの言葉があるという。

「ストルゲー」は親子が互いに持ち合う愛

「フィリア」は友人同士の間にある友愛

「エロース」は性愛

そして

「アガペー」の無償の愛

・・・

愛とは自然発生的にあるというものではなく

理性的に

強い意志を持ち

自分をコントロールしていくことで示してゆくというもの。

そして

神は人間が成熟してゆくことを待っているという。

・・・

難しいことです。

アガペーを示すということは。

しかし

自分の感情を規制することで

自分を超えた自分となることができるように思います。

超自我というものでしょうか。

なりたいものです。

超自我に。


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