ばらばら
改めて"ばらばら”っていいなと思った。
地元のある建物に来館者が感想を書くノートがあるのだが、それが実にまとまりがなくて面白かった。ちゃんとした文章だけではなく、中にはイラストや、ちょっとした落書き?みたいなものもあったり…。
言語も日本語、中国語、台湾語、韓国語、英語、フランス語と様々。もちろん来たところも日本国内だけではない。
この感覚、どこかで持った事がある。
そうだ。
星野源の公式YouTube Channelだ。
そこで公開されている動画のコメント欄をみると、そこも日本語だけではなく、上記のような様々な言語が飛び交っていて、「ばらばらでいいな」と思うのだ。
私が求めているのは、このまとまりのない自由さなのだと思った。
1ヶ月ほど前からBTSについての記事を書いているが、私はBTSの曲が好きな一方、彼らの代名詞でもある「一糸乱れぬダイナミックなダンス」に若干飽きている。というのも、「一糸乱れない」というのはK-POPの代名詞であり、BTSの個性ではないように感じるからだ。
また、なんとなく世の中全体が完璧さを追究する方向に流れているような気もしている。成功する事、勝つことを重んじるようになり、窮屈に感じるのだ。
それに反発したい気持ちもあって(勝手な思い込みだが)、もしかしたら私は「一致団結する」とか「まとまる」という事に嫌気がさしているのかも知れない。
かつては綺麗に整った、隙のない完璧さに憧れていたが、今は猥雑でカオスな方が面白いと思うようになった。そのせいかK-POPよりもJ-POPを聴く頻度が増えた。
それになにより、私自身が完璧からはほど遠い、というか自ら”完璧さ”から離れていっているような気もする。40手前なのに自堕落な生活をしているし、人間関係を築くのも下手くそな人間である(何故か距離を置いてしまう)。そして天邪鬼故に世の中の流れに沿っていけない。成功や勝利が幸せではない、と思ってしまう。
そんな自分を認めたいのだ。認めたくて、認めたくてたまらない。
話がずれた。
星野源『恋』のMVコメント欄に「あの頃は平和で良かった」的なコメントが載っていたが、確かに年々、社会状況、特に本邦は悪化していく一方だ。
戦争が相変わらず起こるし、国内は社会が変わっていっているのに政治が変わらず、自己責任論が幅を利かし、個人の生きづらさが増している。
そんな時代だからこそ、不格好で不完全でカッコ悪くてもいいじゃんと思うのだ。
ばらばらに生きよう。
叶えたい事もあるし。
このnoteに掲載している詞をどうにか形にしたい。希望は捨てない。
その前に自堕落な生活から脱しないとなあ。
望月 香夜
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