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3人のおばあちゃん

私には3人のおばあちゃんがいる。私にとって3人のおばあちゃんは全員大切だ。でも会えなかったり、話したくなかったり、話せなかったり、分かり合えない時もある。生まれた時代が違くて、生きた時代が違いと分かり合えないことや、共感できない価値観があるのかもしれない。それでも、他愛もないことで一緒に笑いあったり、時には悲しいことがあれば一緒に泣いたこともある。年の差を乗り越えて、同じ時を一緒に過ごすと、ある程度お互いのことを知ることができる。相手のことを全ては理解できていないのかも知れない。知っていないことのほうが多いかもしれない。それでもいいのかもしれない。相手のすべてを知ることに必死になるよりも、少し知っているだけで本当はいいのかもしれない。それでも知りたくて、必死になっている自分がいる時がある。おばあちゃんと孫という関係は遠いようで近い不思議な関係なんだと思う。


私の1人目のおばあちゃんは割と近くに住んでいる。歩いて行ける距離に住んでいて、小さいころは一番多く会っていたおばあちゃんだと思う。でも、今は滅多に会わない。私からは会いに行かない。一応、私の中では縁を切っている、おばあちゃんと。何回か泣かされて、怒鳴りあったりもした。それでも、やっぱりおばあちゃんだから可哀そうかなとか、私って孫として酷いのかなとか考えてしまう。だけど、心のどこかで許せなていない自分がいるのも事実だった。だから最近は私からは会いに行かない。でもたまにおばあちゃんから大きい荷物を抱えてやってくる時がある。作った煮物を持ってきたり、田舎から貰った大量の柿とかキュウイを引っ張てくる。大量の柿とかキュウイは重いのに引っ張ってこれることにたまに感心する。おばあちゃんから貰う物を食べるのは癪だけど、もったいないから捨てないでいただく。それでも大量すぎて、半分以上は熟しすぎてしまう。


私が小さいころからおばあちゃんは家によく来てた。おばあちゃんは家に来て、何かを大量に持ってきてくれて、ソファーに横になり寝ていた記憶があった。大量のスルメイカやドーナッツを買ってきてくれた。小さいころの私は食いしん坊だったから、素直に喜んで頬張っていた。大量の甘くて美味しいドーナッツを1回で一人で食べてしまうこともあった。スルメイカを食べれば部屋がスルメイカの臭いで臭くなるがそんなことは私には関係なかった。私はおばあちゃんが少しお金持ちなのかと思っていた。お金持ちだから沢山美味しいものを買ってきてくれたりしていたのかと思っていた。


それでも大量に同じものをくれるから、食いしん坊の私でも飽きる。だから、私はおばあちゃんに「美味しいね」って言わなかった。「美味しい」て伝えると3倍の量の同じ物が届き、一生懸命食べることに大変になるからだ。私以外の家族もおばあちゃんに美味しいって伝えなかったと思う。お母さんはいらないって言ってもおばあちゃんは言うことを聞かなかった。


私は小さいながらお母さんとおばあちゃんの関係がそこまでよくないことをなんとなく感じ取っていた。リビングにおばあちゃん、お母さん、私の三人がいても沈黙が続くことがあった。おばあちゃんがお母さんに話しかけても、お母さんはおばあちゃんに素っ気なかった。私は理由は特に知らなかったし、聞かなかったけど、なんか居心地悪かったと思う。お母さんはおばあちゃんがリビングに来るとどっか違う部屋にふらっと行ってしまった。

私はおばあちゃんと二人になると、なんとなく一生懸命おばあちゃんにどうでもいいことを話しかけた。小学校で起こったこととか、友達のこと、弟との喧嘩などを報告した。おばあちゃんは少しつまらなそうに聞いてたり、適当に相槌を打ってくれていた気がする。そこまで記憶はない。


おばあちゃんは身だしなみにうるさい人だった。服が汚いとか、髪が乱れているとか注意されることもあった。数時間、リビングにあるソファーの上で横になって寝た後は、車でどこかに向かって行った。おばあちゃんはお仕事をしていたから、お客さんのところに向かったり、会社に向かったりしていたのかもしれない。おばあちゃんはいつも、身だしなみに気を使っていて、ちゃんとした服を着て、お化粧もしっかりしていて、髪もセットされていた。

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