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ほくろと一緒に死にたかった中学時代

はじめまして!望月と申します( ¨̮ )

私は現在20代前半なのですが、人生の約半分の時間ずっと死にたがりでした。

誰にもいえず、心に溜め込んでいたものを吐き出させて頂きたく本日から執筆させていただきます。

完全なる自己満ですが、お付き合いくださいませ。

〜本編〜

私の鼻の下には、縦横0.5cmの大きなホクロがありました。

成長と共に大きく膨らんでいくタイプのホクロで、小学校中学年のころからのコンプレックスでした。
 
ホクロをとりたいな…って思いつつ中学校に入学。

中学校、一番最初につけられたあだ名は
【レーズンパン】でした。

給食のレーズンパンを食べている時に、隣の席の男の子が「おまえなに共食いしてんだよ!」ってからかわれたことがきっかけです。

あだ名を付けられた当初は、あまり気にすることなく生活ができていました。(自分の気持ちに疎い方だった)

初めの頃は、クラス内だけか、2人で話している時だけしか、からかわれていませんでしたが、全然気にしてない私をみて面白がったのか、又は腹が立ったのか。

多くの人いる、学年集会の時や部活動の時にも「レーズンパン」とからかわれるようになっていきました。

さすがに、これはちょっとまずいかな?(いじめられるかな?)と感じていた私。

その予感は見事に的中しました。

思春期反抗期の中学生達はこんな面白いあだ名をほっといてくれません。

違うクラスの人達+違う学年の人達から、からかわれるようになりました。

ここから最悪最低な「レーズンパン」人生がはじまります。

〜〜
今回はここまで。

お付き合いくださった方、ありがとうございました。




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