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「嫌われた監督(鈴木忠平著)」を読んで

私が野球に興味を持ち始めたのは小学校低学年のころだったか。父親が大の野球好きで長嶋ファンだったこともあり、ジャイアンツ戦と大阪で生まれ育ったこともありタイガースを中心に見ていたが、特にこのチーム、この選手が好きというのはなく、なんとなく見ていたと記憶している

その後、地元の野球チーム【〇〇少年野球団 ※〇〇は地元の名前】という、いま思い返すと、とてもお堅い名前の野球チームに入り、数年が経ったころ、私の憧れは二人の選手だった

一人はPL学園の4番打者として甲子園で大活躍していた清原和博、もう一人は自身二度目の三冠王に向け打ちまくっていた落合博満、前者が満員の甲子園球場で大活躍する光り輝くスーパーヒーローに対し、後者は閑散とした川崎球場で顔の前にバットを掲げ、黙々と打ち続ける剣豪のような佇まい。
対極をなす選手だったが、たまに見る「プロ野球ニュース」でライトスタンドへ放り込むバッティングを見て「なぜこの選手は軽々とホームランを打てるんだ!?」とその姿に魅了され、ファンになった

そこから数十年が経過し、清原は覚せい剤の所持および使用によって逮捕。有罪判決を受け執行猶予中に「Number」誌上で清原に甲子園で打たれた対戦相手に話を聞きにいった記事や、清原本人に直接インタビューする記事が掲載される。これをきっかけに鈴木忠平という方の記事を楽しみにするようになる

そして今年の9月24日、落合監督の事を書いた「嫌われた監督」が発売。週刊文春にて連載されていたのは知っていたのだが、なにぶん週刊誌を定期的に読む(買う)習慣がないこともあって、書籍化されるのを首を長くして待っていたので、即購入させていただいた

それから約二か月、ようやく読み終えることができたので、ちょっとした感想文を書こうと思った次第である。待望していた割に読む終わるの遅くね?というツッコみが聞こえてきそうだけど、時間が中々取れなかったことや、少しずつ読んでいたのでこんなに時間がかかってしまった訳である

だれに対する言い訳なんだって話だけど…


と無駄に長い前書きを書いたところで本題の感想を


まずもって思ったのが、人と群れないんだなということ。その昔、ルポライターの竹中労は「人は無力だから群れるのではなく、群れるから無力になる」という言葉を残しているが、孤独を愛するといったセンチメンタリズムな意味ではなく、人としてブレない強さの源ではないだろうか

もちろん「仲間」がいない訳ではないんだけど、対比として書かれることの多い星野仙一元監督が寄ってくる多くの人を仲間にして、輪を広げようとしているのに対し、必要最小限の人だけを仲間として認めているところに違いを感じる


そして言葉に無駄がない。その昔、広岡達朗元監督を「広岡は正論を言う。だから嫌われる」と評した人がいたが【※確か作家の近藤唯之氏だったと記憶しているが、出典元が不明なため、私の記憶違いであれば申し訳ない】、落合の言葉も無駄がなく、的を射る。だから言われた人間は一瞬ムッとするが、その真意を理解し実行した人は成長している

広岡元監督がライオンズの監督に就任した時も、いきなり投打の中心である、田淵幸一・東尾修両選手に苦言を呈し、その後もほぼ全ての選手に対し容赦なく言い放つので、険悪な関係にもなったが、その言葉に反発しつつも受け入れた若手選手(石毛宏典、辻発彦、工藤公康など)は今でも「広岡監督のおかげ」と言って憚らない

ドラゴンズでも森野将彦や荒木雅博など当時はレギュラー未満の選手から、エースになりかけていた吉見一起など甘い言葉は一切かけずに、谷底へ落とし、そこから這い上がってくるのを見守っている


あと契約というものを非常に重視しているのも落合監督らしい

そもそも契約とはそういうものだし、線引きをあいまいにして、なあなあでやることのほうが間違っているんだろうけど、2011年の日本シリーズが元々の契約期間である10月末を過ぎた際、日割りでサラリーを求めたという話はある意味、落合監督らしさの詰まった逸話である

現役時代からプロ野球選手の地位向上であり、価値を高めるために年俸調停をしたし、プロとして一番高いオファーをしたチームに行くとして、ジャイアンツ退団後、マスコミはジャイアンツとの遺恨マッチを演出したいのか、オファーを出していたスワローズへの移籍話を盛り上げるが、同じくオファーを出していて金額の高いファイターズに移籍したのも落合監督らしい選択である

またファンサービス(オーナー企業であり、地元マスコミとの関係性を考えると、マスコミ向けのリップサービスがメインであろう)に関しては、そもそも選手であり監督がそういうことをする必要が無いし、それは責任部署が考えて観客を増やすのが仕事でしょ。と持論を持っているためか、にべもない

逆に契約条項に盛り込んでおけばファンサービスを行ったのか気になるところではあるが

ただマスコミ自体が嫌いなわけではなく、それこそ信子夫人とCDも出したし、テレビにもよく出ていた。ファイターズ在籍中には『さんまのまんま』に出演し、「優勝すれば来年、この番組のMCを俺がやる。その代わり優勝できなければ来年、番組のお手伝いをやる」とリップサービスし、公約を果たせなかったその年のオフ、AD役を楽しそうにやっていたりと、意外とお話し好きなのではと踏んでいるが


あと森野のサード起用であったり、荒木のコンバートに関して、その基準が守備というのも興味深い。森野の場合は当時サードを守る立浪和義の両サイドを打球が抜けていくことが看過できず、アライバコンビのポジションシャッフルもショートを守る井端弘和が動けなくなってきたので入れ替えたと最後の最後で明かしている

宇野勝の章でも書かれているが、バット一本でプロ野球の世界をのし上がってきた人が打撃ではなく守備を優先するところは不思議である

だけど、自分が心血を注いで取り組んでも4割は打てず、自分より劣る(取り組みが甘いというべきか)選手ならば3割すら打てない。そんな選手に何を期待するんだ!と言われたら返す言葉もなく、それが失敗の少ない野球を目指す理由だったとすれば面白いというか、怖いというか


落合監督の8年間において負の側面として語られがちなのが、ファンサービスと血の入れ替え、特に野手の新戦力が出てこなかったことではないか。血の入れ替え、ドラフトに関しては中田宗男編成部長の章で触れられているけど、これは落合監督というより、ドラフトにおいて監督の意見を取り入れすぎるプロ野球の悪いところがもろに出ている気がする

スポーツ紙などでもフロントと監督のキッチリ線引きされていて、監督が要望する選手を指名してもらえなかったとして、意思疎通できていないことをネガティブに報道することに対して、監督が全権を掌握する「全権監督」に対してはポジティブに報道していることが多く見受けられるが、現場の監督が一年一年勝負しながら、三年後、五年後の戦いまで俯瞰して見るというのはキャパオーバーであり、10年から15年前の話とはいえ、そのすべてを落合監督の責任とするのは可哀そうかなとも

ジャイアンツのV9、ライオンズ黄金時代もだけど、落合ドラゴンズも野手の経年劣化が時代の終焉と強く結びついていて、それで言うと今年四連覇を逃したホークスも柳田悠岐が30代半ばに差し掛かりつつあり、同じ轍を踏むのか回避するか注目している



とにかくこの本、落合監督の立場になって読むもよし、ここの選手や関係者、当時番記者だった鈴木忠平氏の立場になって読むもよし、どの立場になって読んでも楽しめる一冊になっているので、プロ野球シーズンもオフになったこの期間に読んでみるのをお勧めします

では👋👋


※人物名に関しては敬称略とさせていただいております

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