モッチー:元学長のエッセイスト

朝日新聞社で主に経済記者として多くの経営者、政治家、官僚と出会い記事を書き、デスクとして記者の原稿をたくさん直した。管理職を経て退社後は大学教授に転じた。最後は関東にある私立大学の学長を5年務め、大学運営に携わった。2024年から帝京大学出版会顧問。

モッチー:元学長のエッセイスト

朝日新聞社で主に経済記者として多くの経営者、政治家、官僚と出会い記事を書き、デスクとして記者の原稿をたくさん直した。管理職を経て退社後は大学教授に転じた。最後は関東にある私立大学の学長を5年務め、大学運営に携わった。2024年から帝京大学出版会顧問。

最近の記事

本と人と――帝京大学出版会顧問のコモンセンス(5)◎三浦綾子の夫・光世は「聖人」のような人!

今回の本・「氷点・『氷点』を旅する」「三浦綾子生誕100年+α記念文学アルバム」(ともに三浦綾子記念文化財団発行)など  妻の亡くなった恋人の写真を背広の胸ポケットに生涯、抱き続ける――。そんな人が、この世にいるのだろうか。  作家・三浦綾子の夫、光世(みつよ)は、綾子が結婚前に愛した医学生の恋人が亡くなった後に入院中の綾子と出会った。互いにキリスト者だった縁で病床に伏す綾子を見舞い、綾子の前で全快を神に祈り、賛美歌を歌った。 光世は、亡き恋人の存在も受け入れたうえで綾子と結

    • 偉大なストーリーテラー、三浦綾子に会いたかった!

      本と人と――帝京大学出版会顧問のコモンせんす(4) 今回の本:『氷点』『塩狩峠』『泥流地帯』など  手元に大ぶりの紙焼き写真がある。写っているのは、作家の林真理子、渡辺淳一、文芸評論家の秋山駿ら8人。テーブルを囲み、一様にホワイトボードを見上げている。末席で口をあけて話しているのは私である。  1995年の初夏の札幌。新聞社主催の文学賞審査会の一コマ。私は報道部次長(デスク)として、司会進行役を務めていた。  司会役をしながら、私の心には何かしら満たされない思いがあった。

      • ソニーの創業者は1人か2人か?

        本と人と――帝京大学出版会顧問のコモンせんす(3) 今回の本:『ソニー 創業の原点』『ミネルヴァ日本評伝選 井深大』『井深大と盛田昭夫』『幼稚園では遅すぎる』など  ソニーは本田技研工業(ホンダ)と並んで戦後日本が生んだ、世界で最も知られている企業であろう。記者として、その創業者、井深大に直接取材したことがある。  井深は戦後間もない1946年にソニーの前身、東京通信工業(東通工)をつくり、代表取締役となった。社名を1958年に「ソニー」とし、社長や会長として、「日本初」や

        • 「宅急便の父」は恥ずかしがり屋だった?本と人と――帝京大学出版会顧問のコモンせんす(2)

          今回の本:小倉昌男に関する本『小倉昌男 経営学』『「なんでだろう」から仕事は始まる』など  「今のうちの経営、どう思う?」。居酒屋のカウンター席で小倉昌男は、つぶやくように尋ねてきた。  今や社会インフラとなったヤマト運輸の宅急便。小倉は同社の社長を父から引き継ぎ、経営が傾いていたヤマトの業態を、自ら考え抜いて生み出した宅急便に絞り、一気に大転換、発展させた。  小倉からの問いかけは1991年のこと。当時はヤマトの会長から取締役相談役に退いていた。私は運輸省(現国土交通省)

          本と人と――帝京大学出版会顧問のコモンせんす(1)

          ◎ 大作家と財界総理が語りあう「本は読み返せ」 今回の本:城山三郎・平岩外四著『人生に二度読む本』(講談社・2005年2月第1刷発行)  「経済人で本をよく読む人といえば誰ですか」。そう聞いてきたのは経済小説の大家だった城山三郎である。  1997年の師走。神奈川県茅ケ崎市の仕事場を訪れて取材をした後、近くのカフェに場所を変えての雑談の第一声だった。  その問いに対し、新聞社の経済記者の経験から脳裏に浮かんだのが、元経済団体連合会(経団連)会長で元東京電力会長・社長の平岩外四

          本と人と――帝京大学出版会顧問のコモンせんす(1)

          プロフィール

          はじめまして。新聞社の記者として出会った人々にまつわる本や、これまでの人生で大きな影響を受けた人と本のあれこれをエッセイ風に紹介させていただきます。