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20歳の夏

踊り場さんのエントリーを読んで思い出した。私が2020年の東京オリンピック決定を聞いたのは、通天閣の真下のギャラリーの中だった。

私は高校から美術科のある学校に通っていたのだけど、その時の同級生30人近くを集めてグループ展を開催した。ノリで友達と2人で主催をしたけど、まだ大学生で20歳になったばかりの子どもだったから、本当に色々と若さだけで乗り切った。(アトリエのオーナーさん、ありがとうございました。)

そんなグループ展の会期の末ごろ、みんなでだらだらと在廊していた時に、オリンピック決定の話になったのだと思う。

私たちはその時、ちょうど20歳だった。展覧会の名前も「真夏の成人式」などとかっこつけたタイトルを出して、大人になった私たち・・・みたいなことを言っていた。「東京オリンピックの時、私たちって27歳なんだよね」「大人だねえ、なにしてるんだろうね」「またここで展覧会やろうか」なんて言ったっけ。

今思うと、なんにも大人じゃなかった。一人暮らしをしていたけど、全部親のお金で生きていて、夏休みだからってバイトと昼寝しかしてなくて、勉強もいい加減だし、制作だって身を入れてやってたか怪しい。そんなでも、自分たちのことを16歳の時と比べると大人だと思ってた。自分たちのバイト代でギャラリーを借りて、絵を描いたり映像作ったりして、ポスターやDMも作って配って、大人になったと思ってた。

7年前のことを思い出して、じゃあ今って大人なのか?と思う。いや、大人じゃないと困るんだけどさ。でも、あれ以降にできるようになったことって一体なに?自分のお金で家に住んで、ご飯を食べてること。好きなものを買って、好きなところに行って、遊んで、仕事して、生きてるだけ。

きっとまた7年経った時、私は今の自分を思い出して「大人じゃなかったなあ」なんて、思うんじゃないかな。そしてまた、7年経って、また7年経って。いつまで経っても、記憶の中の私は子どもだ。



でも、久々にギャラリーのオーナーさんとかと交渉しているメールを見返したら、びっくりするくらい丁寧で文章がうまかった。子どもにしては大人だった。そういうこともあるんだな。

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7年前、バイト先の先輩たちに囲まれながら、20歳の誕生日になった瞬間にお酒を買って年齢確認をしてもらった時の写真。服、ださっ。

やっぱりまだまだ子どもだ。


#日記 #エッセイ #2020

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