子供に勉強をしなさいと怒る親。
みなさんおはようございます!!
昨日の夜にnoteを投稿するつもりだったのですが、女子メンタル、イケメンタルに見ハマってしまって投稿することができませんでした。
そのため、朝起きてnoteを投稿していきます!
今日は前回に引き続き「嫌われる勇気」の自分なりの要約、感想考えを書いていきたいと思います。
「嫌われる勇気」を何回かに分けてnoteを書いていこうと思っているのですが、今回は「課題の分離」のついて書いていこうと思います。
この「課題の分離」は対人関係を良好にする上でとても重要なテーマであり、本書にも書かれているのですが
あらゆる対人関係のトラブルは
・他者の課題に土足で踏み込むこと
・自分の課題に土足で踏み込まれること
のよって引き起こされる
と書かれています。
ぼくはこの言葉を聞いて「人間関係」は思ったよりもシンプルなんだと思いました。
自分の生活を振り返ってみるとこの課題の分離ができていない場合が多々あると思いました。
例えば、親が自分の子供に対して、「勉強をしなさい」と怒り子供が「今からしようと思っていた」と言い返す。
このようなどこ家庭にも起こりそうなシーンにおいても「課題の分離」ができていないことがあります。
たとえ、本当に子供が勉強をしていなかったとしても、「勉強をしなさい」と怒られて子供はいい思いをしません。
それでは、この親と子供の関係においてどんな問題が起きているかというと
課題の分離の欠如です。
「勉強をしなければいけない」
というのは子供の課題であり、親の課題ではありません。
子供側からすると親が自分の課題に土足で入られたという思いになり、親の怒りに対して反抗したいという気持ちが生まれてしまします。
ここで大切なのが
「これは誰の課題なのか」という観点から考え、その上で他者の課題には踏み込まないという判断です。
この、誰の課題かを見分ける方法として紹介されていたのが
「その選択によってもたらせる結末を最終的に引き受けるのは誰?」
という視点です。
先程の場面においては、勉強をしないことによって生まれる結果を引き受けるのは子供であるため
勉強をしていないというのは子供の課題になります。
この視点を持っていいるか、そうでないかで対人関係がうまくいくか悪くなるか大きくくなるかが変わっていきます。
今回の場面においては親は、子供の課題に対して子供の思いを尊重し見守る姿勢をとり、いつでもサポートできる状態であるということを伝えておき、頼まれてもいないのにあれこれ口出しをしないのが大切です。
決して「放任主義」の考えではなく、子供が何をしているのかを知った上で、見守ることは必要だと本書にも書かれています。
今回の「課題の分離」の考え方は自分自身も人間関係のあり方を考えさせられるような内容であり、みなさんもにとっても参考になる場面があると思いこのような内容で書かせていただきました。
今日は週初めの月曜ということで「課題の分離」を頭の中に入れて頑張っていきましょう!!
ここまで読んでいただきありがとうございました!!!!
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