見出し画像

ショッキングピンク

初めて染めたのは、ニートになってからだった。
馴染みの美容院で

ブリーチしてショッキングピンクを入れて欲しい。でも怖いから毛先15cmくらいだけで

度胸があるのか、チキンなのかわからないオーダーをした。


クソ真面目な人生


私は一言で言うと「クソ真面目な人生」を送っていた。
中学生の頃、周りがお化粧にめざたり、校則を掻い潜ってヘアアレンジをしている中、徹底して校則通りのおさげを貫いた。

高校はちょっとスカートを短くしただけ。
武道系の部活だったのでポニーテール一択。

大学でデビューしようと思ったけど、忙しさとめんどくささが勝って、メイクをするだけで止まった。

社会人になってからは、教員という職業柄、派手に染めることはなく。
また忙しさと(以下略

そんな私が染めようと思ったのは教員を退職した時だった。
過労、そしてうつになり長期入院になってしまった。
退院した頃には世間がコロナ一色となり、就活するタイミングも活力も失っていた。
幸い、家族から当面ゆっくりしていいと言われ、主治医からも好きに生きようと言われていたので、お言葉に甘えてニートすることにした。

そう、人生で初めてなんでもしていい期間ができた。


初めて何にも縛られない期間ができた

 
ニートに規則も何もない。
あるのは時間だけ。
なので髪を染めようと初めて思った。
心身ともに当分働ける状態ではなかったから、だったらええやろ、という本当に単純な動機だった。

それでも全部を染めるのは何か抵抗があった。
全部染めるとなると、定期的なメンテナンスが必要で金銭的に難しいというのもあった。

だからと言って初回からブリーチしてショッキングピンクを毛先だけ入れるというトンチキな染め方はどうかと今でも思う。

そして染めたの写真がこちら


今見てもすごい色

生まれて初めてのブリーチ。
生まれ初めてのカラー。

帰りにカラーシャンプーも教えてもらい、ウキウキで帰った。


鏡を見るのが楽しくなった


人生で初めての自由な期間に、初めてカラーリングをした。
今どき小学生でも染めているのに、何を大ごとのようにと思われるだろう。

けれど、それまでの堅苦しい人生を歩んでいた自分にとってはすごく大きな出来事だった。

初めは家族も驚いていたが、徐々に見慣れていった。
おそらく最後まで見慣れなかったのは私自身だと思う。

2ヶ月ほどで色が落ち、ショッキングピンクが鮮やかなオレンジになった。
それでも私は別の色を染めたような気分になって、それはそれで楽しんだ。

その後も数回、毛先だけピンクというのをやって、その度にドキドキした。
鏡を見るのが楽しくなり、自分にとって小さな自信になった。

ちょっとメッシュっぽくなったりして上機嫌


さよならショッキングピンク


が、流石に永遠とニートもできないので、ブリーチした部分は切り落とし、証明写真を撮りにいった。

鮮やかなショッキングピンクのキラキラした自由な時間は一年ほどで終わりを迎えた。

今は結構真面目な職に就いているので、流石に先程の写真のような染め方はできない。
(ヤンチャすぎる)
そして働いているのに、メンテナンスを維持するための金銭的余裕がない。
(悲しい。もうちょっとしっかり働きたいけど、治療優先)
でも染めたい。せっかく買ったピンクシャンプーが勿体無いので。
でも職場的にどうなんだ?という自問自答を繰り返している。


こっそりインナーカラーでもしようかと、密かに計画を立てている。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?