見出し画像

推しに認知されるということの覚悟

ある日、オタク友達から相談されました。

「認知もらっている推しにブロックされた俺は何を糧にして生きればいいのかわからない」

理由がどうであれそらショックだよね。認知されたことないけど。
SNSで推しとの距離が近くなりやすい現代で一人でも多くのオタクが推しを推し続けていられる存在であることを祈り個人的に思ったことをまとめました。

自分の行動が見られているし誰かがそれを見ている

認知しているから、というわけではないですが
世間からは「○○のオタク」というレッテルを貼られているわけでして
自分達の行動が推しの評価に繋がります。

ラブライバーがいい例かと。
ラブライブ自体はいいアニメで曲もめっちゃよきです。ぼくはエリーチカ。
ですが、一部目立ちたがり屋さんオタクキッズのせいで警察沙汰が絶えなかったし街中で見つけちゃった時の限界感が凄かったです。
話すと長くなるので「ラブライバー 事件」でググってみてください。

自分の笑顔が推しの笑顔になるわけではない

画像1

「もっと推しに認知されたい」

僕から言わせるとこれはかなり危険信号です。
元々推しってベクトルを相手に向けていることに意味があるので、自分にベクトルを向けてしまうと推しに求めるレベルが高くなって要求が増えたり「こんなに推しているのになんで振り向いてくれないんだろう」という謎の彼氏面感が芽生えてしまいます。

*****

なんか説教臭くなってしまったが、推しに認知されたいオタクはエンジニアがフリーランスになって独立したいって言っているのと同じくらい多いししょうがないことだと思っている。僕だって推しに認知されたいわ。

ちなみに僕の認知経験は居酒屋の大将だけです。特に何も話してもいないのに毎週通ってたある日にローストポークサービスしてくれた。優しい。

最後に、僕の推しである山下七海のフォローをよろしくお願い致します。
1st デジタルフォトブック「GLITTER」はBookLive!にて配信中です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?