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「ほめる」ということ。

(画像はどこかのお店で食べたアサリのパスタ)

どもです。
もちだもちこです。
皆さん、ほめられたら嬉しいですか?
私はうれし、はずかし、だいs……まぁまぁ良い気持ちになります。

基本「自分がされたら嫌なことは他人にしない」というスタンスです。
どちらかといえばポジティブな行動だと思っている「ほめる」を、他人にしたら悪い方向にはならないと思っておりました。

ところが。
世の中に『100%』は無いのだなぁと実感することがありまして。

その時、心から感じたことを、そのまま言葉にして「ほめた」ことがあるのです。
もちろん私の語彙力が無かったとか、言葉のチョイスが悪かったのかもしれませんが、少なくとも悪意はなく、ただその人が素敵だなと思ったと伝えたのです。
すると、その人から「やめてほしい」と言われました。

その時、私はショックを受けました。
自分が素敵だと思って「ほめた」ことが、相手にとって不快だという事実。
その事実に、自分が少なからず傷ついたことがショックだったのです。

自分の好きが、相手の嫌いであることはよくあります。
それが相手を「ほめる」行動であった場合でも、その好き嫌い逆転パターンがあることは、ある程度予想できたはずです。
それなのに、私はショックを受けた。
何様だって思いました。
相手に不快感を与えといて被害者ヅラするなと。
自分が嫌になって消えたいと思ったりしました。(自己否定人間あるある)

通常、このような現象は稀であると思います。
だからといってゼロではない。
この時の私は、その人が素敵で嬉しくて、なんども「ほめる」を繰り返していたのも良くなかったのかもしれません。
何が相手を不快にさせたのかは今も分かりませんが、とにかく何事も『100%』の答えはないのだと反省した出来事でした。

だがしかし。
誰かを「ほめる」ってことは、これからも続けていくと思います。
素敵だと思ったら「素敵」と言ってしまうでしょう。
それが『100%』じゃなくても、私を受け入れてくれる人はいると思うので。

え? 私ですか?
もっともっとほめてくれてもいいのですよ?
ほめてのびるタイプなので!!!!

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