どうして「人間洗濯機」は文化にならなかったのか
20代の女子がこんなこと言うのもアレなんですが、お風呂入るのってめっちゃ面倒です(汚)
特に、髪の毛を洗うと乾かすという行程が必須になるし(女子の場合)、
なにやら狭い部屋でみしみしと動いてあちこち洗うなんてなんか滑稽だし・・・。お風呂洗うのも面倒。
お風呂好き!!という方も多いとは思うのですが、私は面倒で仕方ない。
でもこれから真夏を迎えるのでお風呂に入らない、というわけにもいかない。
「あー、誰か洗ってくれー(終)」
そしたら1970年の大阪万博で「人間洗濯機」というものが発表されていました。
(・・・?!?!)
セクシーだね(小並感)
当時の人間洗濯機は美容にも健康にもいい、という一歩先の家電として万博に登場したようです。
今は介護現場などで姿を変えて活用されているそうです。
こぉんなに革新的なものが形を変えて日本のお風呂の新常識にならなかったんだろう、と考えました。
結論、これは私の持論ですが、「体の部位で一番洗うのが面倒なのが髪の毛で、楽なのが首から下だからである」です。
人間洗濯機は体の汚れは綺麗にしてくれますが、髪の毛までシャンプーつけてリンスつけて、、とはしてくれません。
体を洗うところは人力でも一番省略が可能だと思っています。タオルにボディーソープつけてなんちゃら、は面倒なら手に直接だして、手で泡立てて器用に背中とかを洗う、といった感じ。
だから、人間洗濯機で体を隅々まで綺麗にするより、人力のほうが早くて安いから、代替えされなかったんだと思います。
その点、介護現場ではそうはいかないお年寄りの方がおられて、人の力でごしごし洗うよりも、マシーンで清潔さを保てるならそのほうがいい!というのは納得です。
もし、シャンプーやリンスをしっかりとしてくれて、髪の保湿は約束されて、自動でヘッドスパしてくれて、髪の毛のドライヤーまでしてくれて30分で終わる(その間、ずっと横になっておくだけ)なら、
私は100万円でも買ってしまう気がする!!!
人間洗濯機はなぜ文化にならなかったのか。
「ユーザーが簡略化したい文化が、そこではなかったから」
・・かもしれません。
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