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話すと、放せる

自分の悩みが、話せるようになれば、もうかなり助かってる。
ただし、過不足なく話せてるとは限らない。冗談ぽく言って、傷ついてないととりつくろったり。暗いと思われたくないとか、弱いと思われたくないとか、そういうエゴが働いて。いざ話せたとて本当の思いが伝わってはいないことも多々ある。

それでも、たとえ別々の人にでも、さらに少しずつでも受け止めてもらえたり、時間薬で癒しが進んだりして、どんどん話せてきて、気持ちが回復した、わたしは。悩みに、よってたかって、口でも文章でもネットでも言葉にしてきた。そうしたら悩みがほぐれて、「今のぐるぐるした悩み」が「過去のたんなる事実」になった、かな。

話すと放せる。カウンセリング界隈でよく聞く。たしかに、話せると、一人の荷物として抱えていた悩みは、どんどん手放せた。話すと、手「放せ」た。不思議だ。

話せるようになるまでが、辛い。辛いかどうかも分かってなくてただただ苦しかったりする。

話せる相手の人を見極めるのも、たいへん。悩みを利用されないか、傷つけられないか、はたまたわたしの放った悩みをかかえちゃうようなひともいるかもしれないし。まして関係者には話せないし。

わたしはそっと、悩み続けている問題から時間をおいて、問題から遠いところで、ぽろっと話しやすい人に、話し始めた。そうしていって、時間が経って、最近は、過去の問題からわりと近い人間関係のなかでも安らいでいられるようになってきた。

わたしの悩みは、話して、話し尽くしつつあるのかな。

ほっとします。

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