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風の時代に、ざわつく自我

心理学の本を読んでいます。何かを思い、嫌な気分になるってことは執着が潜んでるのだと。執着は自分を苦しめるもの。本は腑に落ちることばかり。風の時代、わたしはざわつく。執着があるらしい。

最近本当にしあわせで、一生このしあわせが続くとなかば確信するくらいだった。かと思うと日中、こどもとふたりきりだと涙が出て仕方なかったりして。なかなかに不安定である。何かをまだまだ改善する余地はあるみたい。情緒不安定なんです。嫌だぁね。でも一方で、来世があるならこんなわたしのまんまで来世も幸せ者だと確信している。どうかしてるぜ!しあわせもの。

風の時代だと。旧態然とした価値観は風に飛ばされていくのだと(意訳)スピリチュアル界隈では言われているよう。そっかぁー。。と、不安になる。わたしは古い人間だと思う。親の価値観を受け継いでいる。そしてそれが性に合ってもいる。女の子は学歴はそこそこに、できるだけ若くして結婚して二人以上こどもをもつべきだし、こどもはお母さんが見たほうがいい。嫁いだらむこうの家に従うべきだし、離婚するなんてよっぽど。

これらには理由があったと思う。結局のところ生殖可能年齢はあるし、家族であると法制度も守ってくれる。それにわたしの性格には主婦があっていたので、土着(土の時代の意訳)の生き方をしているのだ。ただ、パートナーは飄々としたところがある育児家事に協力的な中性的ともいえる出来た人なので、わたしがいくら土着の生き方をしても現代の風潮の恩恵はおおいに受けている。だからしあわせなのだ。選べるなら。自分の性に合っている古い感性を持って風の時代を生きたい。「わたしは。」。その覚悟を持てば良いのだろう。衝突も融和も引き受ける。

それがわたしの風の時代、かろやかに古臭く生きていきたい。

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