見出し画像

普通になりたい症候群


何度も何度もこの記事を読み返しては考えてしまいます。

「自分は仕事ができない、と思いたくなかった。普通の人ができることをできる人間だと思いたかった。

この言葉が胸に刺さります。私も今までずっとそう思い続けてきたから。

「この人はどうして苦手な接客業ばかりやるんだろう?」って思ってたのですが、「自己肯定感が低すぎて、出来ない事を出来るようにならないといけない、出来ない自分はダメだと思っているのではないか」という指摘を見かけてハッとしたんですよね。かつての自分もそうでした。

幼稚園に入り集団生活に放り込まれたあたりから、「自分は何かおかしいぞ」と思い続けて生きてきました。小学校に入学してからそれは決定的になり、小学4年生にして「このままでは自分は社会で生きていけない、なんとか変わらなくては」と思い詰めて、それまで隅っこで一人本を読んでいた陰キャから、なんとか周りに溶け込もうとする陽キャになろうと頑張って空回りして。

周りに溶け込めないだけならまだしも、グループ作業では不器用さや物覚えも悪さ、運動神経の鈍さで周りの足を引っ張り、白い目で見られる毎日。学校が勉強だけする場所だったらいいのに、授業を受けるだけなら耐えられるのにと何度思ったことか。こんなに何もかも出来ないなんて、私はもしかして知的に問題があるのではと疑ったこともあります。

社会人になってからもアルバイトも仕事もミスだらけで、手先が不器用だから作業系の仕事は壊滅的。朝も弱く毎日出勤寸前まで横になっていました。求人雑誌の【誰でも出来るお仕事です!】【簡単作業でラクラク稼ごう!】の煽り文句がどれだけ恨めしかったか。仕事を覚えるのが人一倍遅かったので、ノートを作り仕事帰りにマックで必死に復習したのを覚えています。今よりずっとずっと努力してた。自分の努力が足りないんだ、頑張ればいつか「みんなと同じ」「普通」に近づけると信じていました。あの時の崖っぷちを常に走ってるみたいな感覚に比べたら、シナリオや小説を書くための努力なんて比べものにならないくらい楽です。だって頑張れば上手くなれるもん。


「作家になれたんだからいいじゃん」と思われそうですが、それまでの三十年近くがあまりにも辛すぎて、まだまだ帳消しにするにはほど遠いです。

今は理解のある旦那や義両親、周りの人達に囲まれ、好きな仕事で評価され、幸せだと思います。でも、どこかで「社会人としてきちんとしていない自分はダメなのでは?」という考えがなかなか消えません。派遣でゲーム会社で働こう!と思ったのも、かつて失敗した会社勤めも今なら出来るのでは?と思ったというのは大いにあります。私だってちゃんと「普通」に出来るんだって証明したい。結局ダメでしたけど。

子供の頃から母親に「どうしてみんなと同じに出来ないの!」「●●くんに比べてあんたは」と言われ続けてきたので、もう呪いがかかってますよね。

今の自分は嫌いじゃないけど、もし来世も人間に生まれ変わるなら、「普通」の人として、クラスに溶け込めて学校行事を楽しみ、仕事場でも仲間とうまくやりつつ仕事を難なくこなし、仕事しつつ結婚して子供を産んで育てる…みたいな人生送りたいなーって夢みたりします。

このライフプランが贅沢だと言われる時代だからこそ、私は息が出来るところもあるんですよね。ああ、私がマイノリティではないんだと安心出来る気がして。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?