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マリオは折り返さない

 鴨川沿いを南に向かって歩きながら、ふと、今の自分はマリオみたいだな、と思った。一直線の道を脇目も振らずにずんずん進む様子が、まるで強制スクロールに追い立てられているようだったからだ。

 そう考えた途端、いつもの鴨川の景色が少し薄れ、脳内で重なり合うように、カラフルなステージが出現する。どこからか、陽気なBGMも聞こえた。すれ違う散歩中の人々はクリボー、全身をアディダスで覆っているランナーはノコノコ、猛スピードの自転車はキラー。橋の下でサックスを吹いている男性はハンマーブロスに違いない。考えているうちに楽しくなり、僕は人がいないときを見計らって、スター状態の音楽を口ずさんだり、意味もなく飛び石を渡ってみたりした。僕と並走するマリオが見える気がした。

 そうこうしているうちに、五条大橋に辿り着いた。ここが散歩道の折り返し地点なので、僕は右足のつま先を中心にくるっと回転し、来た道に向き直る。自宅に向かって一歩を踏み出したとき、突然、違和感を覚えた。

 マリオは、折り返さない。

 マリオは、折り返さないのだ。

 瞬間、カラフルなステージが消失する。見慣れた川沿いの草木が鮮明に見える。いつの間にか、BGMも止んでいた。現実に引き戻された僕は、外国人ツアー客の一団を躱しながら、ついさっきまで一緒に歩いていたマリオのことを考える。

 マリオは折り返さない。何故か? それは、マリオの冒険の目的がピーチ姫を救出することだからだ。少し考えればすぐにわかる、当たり前のことだ。マリオがピーチ姫を奪還せずに回れ右するなんて、絶対にありえない。もちろん、長期の冒険に休養や戦略的撤退は不可欠だろうが、マリオは少なくとも僕たちの目に見えるところではそれをしない。何たる熱意、何たる体力だろうか。単なるお散歩で歩いている僕とは格が違うのだ。こんな自分が彼と共に歩き続けたいと思ってしまったことを申し訳なく思い、僕は心の中で、すみません、マリオさん、と呟く。

 鴨川沿いを北に向かって歩きながら、今も下流に向かって走っているであろうマリオに思いを馳せた。彼は走る。楽しげなBGMが鳴り響く中、クリボーやノコノコを避けながら、鴨川をカラフルに染めながら、走る。鴨川は、やがて湾曲して桂川に合流し、大阪の淀川へと流れ込む。マリオはそんなことは意に介さず、ひたすら川辺を一目散に駆けていく。

 目的地はもちろん決まっている。大阪湾に面する、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンだ。何故って? 日本でクッパの居城があるのは、USJだけだからだ。そんなことは、お散歩だけが日課の僕でも知っている。

 マリオは、USJにいるクッパに勝てるだろうか。いや、勝てるに決まっている。彼はその熱意と体力で必ずクッパを打ち倒し、そしてピーチを救い出す。彼は、そのとき初めて、折り返すのだ。

 折り返したマリオは、鴨川沿いを北に向かって、ピーチと共に歩くだろう。そのときにまた一緒に歩けたらいいな、と思い、僕は心の中で、また会いましょう、マリオさん、と呟いた。