見出し画像

観光客は撮りすぎる

「九マイルは遠すぎる、まして雨の中ともあれば」

ハリイ・ケメルマン『九マイルは遠すぎる』

 今朝、ぶらぶらと散歩していると、150メートルほど先に外国人観光客の一団が見えた。川沿いの遊歩道を塞ぐように円形に集まって立ち、みなスマートフォンのカメラを地面に向けている。どうやら、何か珍しい物を撮影しているようだ。中には腹這いになってカメラを構えている人もおり、その情熱に驚いた。余程おもしろい物なのだろうが、人々に囲まれているのでよく見えない。落ちている物は何なのか、僕は無性に気になった。

 こうなると、束の間の推理ゲームの始まりだ。
「Q:外国人観光客の集団は、いったい何を撮影しているのか?」
タイムリミットは、僕が彼らのところにたどり着くまでの数分間。なかなかの難問だ。

 とりあえず、数少ない手掛かりを頭の中で列挙してみる。
・平日、午前9時ごろ
・天気は晴れ
・京都、鴨川沿い
・約10人の観光客らしき白人に囲まれており、1人は腹這いになっている

 これだけだった。この時点で、もはや推理が成立するとは思えない。『九マイルは遠すぎる』の方がまだ情報量が多いのではないか。熟練の安楽椅子探偵ならともかく、素人のお散歩大学生には荷が重い。

 それでも、ほとんど妄想になってしまうが、とにかく考えてみる。京都に来た観光客がみな熱心に撮影しているのだから、日本独自の相当珍しい物であることはまず間違いない。腹這いで撮影するぐらいだからかなり小さいが、平べったいものではないだろう。真上からではなく横から撮りたいと思う程度には、立体的な構造をしているに違いない。もちろん、川沿いの遊歩道に落ちているものだということも重要だ。生物の可能性もあるが、観光客の注意をあれだけ惹いていたのだから、不自然に落ちている人工物が日本人の日常生活を垣間見せているという可能性の方が高いのではないか。

 ここまで考え、答えを出す。

「Q:外国人観光客の集団は、いったい何を撮影しているのか?」
「A:学生の鞄から落ちた、かわいい2等身ぬいぐるみ」

 悪くない推理ではないだろうか。少なくとも、僕が得た手掛かりのどれとも矛盾していない。毎日多くの人が通る遊歩道なので、落とし物があっても全くおかしくないだろう。考えれば考えるほど、当たっている気がしてくる。期待に胸を膨らませながら、僕は歩くスピードを速めた。

 そして、ついに観光客のもとにたどり着いた。彼らはまだ撮影を続けている。僕は、歩道から外れて避けるようにしながら、つま先立ちで、すれ違いざまに外国人の輪の中を覗き込んだ。きっとそこには、ちいかわとかおぱんちゅうさぎとか、あるいはハイキューの日向翔陽とか、そういうかわいらしいキャラのぬいぐるみがあるに違いない、と胸を張りながら。

 しかし、そこにあったのは、でっかい毛虫だった。

 「なんでやねん!」とツッコミを入れそうになる。はるばる海を越えて日本にやってきて、京都の爽やかな秋晴れの下、服を汚してまでカメラに収めたかったものが、でっかい毛虫? 到底信じられない。もっと撮るべきものが周りにはいくらでもあるだろう、と叱ってやりたい気分になった。よく考えたらアニメキャラのぬいぐるみだって撮るべきものではないだろうが、それでも、毛虫よりはマシだ。

 若干の理不尽な怒りを抑えようと、僕は彼らの弁護を試みる。おそらく彼らは、念願の日本旅行が叶ってハイテンションになっていたのだろう。目に入るもの全てが新鮮で、美しく、おもしろいと感じていたに違いない。箸どころか毛虫が転がっているだけで大爆笑し、数分かけて写真を撮る時間は、さぞ楽しかったはずだ。

 そういうことってあるよなぁ、と、僕は歩きながら思う。自分だって、旅行先でどうでもいいものの写真ばかり撮って、大事な観光名所や名物料理の写真を忘れることが多々ある。そういうくだらないものの方が、長く記憶に残ることも多いから不思議なものだ。観光の醍醐味は、本当はそういうところにあるのかもしれない。

 そう考えると、無意味な推理に時間を費やしてしまったことも、許せるような気がした。いや、でもやっぱり毛虫のために腹這いは、ちょっとやりすぎでは? まあいいか、天気もいいし。

 とにかく、日本人でも外国人でも、観光客は撮りすぎる。まして秋晴れの下ともあれば。