ミイラのミライヨチ
その看板は、慈照寺に通じる上り坂の途中にあった。まず目を引くのはツタンカーメンのマスクらしきイラスト、それから黒地に黄色でデカデカと書かれた「占の王様」の文字。送り仮名の「い」が抜けていることが真っ先に気になったが、そのあとすぐに、そんなことより不敬すぎるだろと思い直した。墓所の発掘に関わった人々を次々に呪い殺した(諸説アリ)というツタンカーメンを、勝手に「占の王様」にしてしまうというのは、余程の胆力がなければできないことだ。しかも100円なんて、チープすぎる。
古代エジプトでミイラが作られたのは、死後の世界で復活するのに肉体が必要だと考えられていたからだという。極東の島国で怪しげな占いの宣伝をすることになるとは夢にも思わなかったはずで、ちょっと可哀想だ。とはいえ看板に描かれているのは副葬品のマスクだけで、しかもよく見ると謎の王冠が描き加えられているから、看板の作者はツタンカーメンとは無関係だと言い張るつもりなのかもしれない。それならそれで結構なことだ。権力闘争に巻き込まれた末に夭逝したファラオは、幸運か不幸かでいえば不幸側であるはずで、人の天命を占う「王」になるのにはやや運命力が足りない気がする。「王」にはもっと幸運な人物を戴いた方がいいだろう。
古代エジプトの死生観では、死者はアヌビス神の審判を受け、無事クリアすれば楽園で永遠の命を授かることができたらしい。クリアできなければ、謎の怪獣に食べられてしまうそうだ。長くても100年程度の現世の振る舞いで、来世の長さが無限大になるかゼロになるかが決まってしまうというのは、なかなか厳しい世界だ。見方を変えれば、現世というのは製品が基準を満たしているかをチェックするテストのようなものと捉えることもできる。クリアすれば楽園に出荷、クリアしなければ廃棄処分だ。出荷された先での取り扱いについては、目下のところ不明である。
それにしても、楽園での生が永遠であるという教えを信じると、余程基準を厳しくしないとすぐに土地が不足してしまうのではないかと心配になってしまう。楽園側は送り込まれてきた人々をどのように収容しているのだろうか。こんなご時世だし、やっぱりデジタルデータとして保管しているのだろうか。楽園の管理責任者はかなり(かなり!)古い考え方の持ち主だと思うので、DXはなかなかうまくいかないはずだ。楽園の公務員も、さぞ苦労が多いことだろう。
このように楽園で用いられている(と推測される)精神のデジタル化が、現世でも実用化すればいいなと、実はずっと思っている。なぜならそれは部分的な不老不死の実現だからだ。死が迫った段階で肉体というハードウェアを脱ぎ捨ててサーバーに隠居すれば、後は永遠のハッピーライフを送ることができる。バックアップも取っておくと安心かもしれない。幻肢痛の全身版みたいな症状が現れるだろうが、それなら肉体も新しく用意すればよい。その頃には生物工学も機械工学も発達して、人体以上に高性能のものが作れるはずだ。iPhoneの機種を変更するように体を買い替える時代が、いつかやってくるのかもしれない。まあその前に人類が滅ぶ気もするけれど。少なくとも僕が生きている間には実現しようがないことだ。
こう考えてみると、現世より技術的に先を行く楽園では、肉体の更新が当然可能になっているはずだ。つまり、来世に時代遅れのミイラ化肉体を持ち込むというのは、ストリーミング全盛の時代にレコードで音楽を聴いているようなもので、時代遅れの感が否めない。でも占い師なら、そのくらい古風な方がミステリアスで雰囲気が出る気もする。ツタンカーメンが「占の王様」になったのには、そういった事情もあったのかもしれない。もちろん真相は本人に聞いてみないとわからないので、とりあえず僕は、アヌビス神の審判をクリアできるように真面目に生きることにする。そして会えたら、ついでに将来について占ってもらうとしよう。もう死んでるけど。