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エイプリルフールの自己紹介

哲学および論理学における自己言及のパラドックスまたは噓つきのパラドックスとは、「この文は偽である」という構造の文を指し、自己を含めて言及しようとすると発生するパラドックスのことである。

Wikipedia「自己言及のパラドックス」より引用


 フィクションは人生を豊かにするし、冗談は日常にささやかな喜びをもたらしてくれる。人々の不安を煽る暗いニュースばかりが取り沙汰される現代社会では、なおのこと、何も考えずに笑えるバカバカしい嘘は貴重だ。だから「嘘をついても許される日を作ろう」というアイディアは、なかなかいいセンいってると思う。

 でもさ、4月1日を選ぶのは、迷惑だろ。だって年度初めじゃん。

 調べたところによると、エイプリルフールの起源には諸説あるが、どれも信憑性を欠いていて正確なことは一切不明らしい。だからエイプリルフールを4月1日に設定した愚か者の正体は掴めないままだ。冗談抜きの正論で説教してやりたいところだったが、わからないものはわからないのでどうしようもない。

 世界規模のホラ吹き祭はさておくとして、4月1日は年度初めの一日であり、企業も学校も今日を区切りとして始動する。おあつらえ向きに桜も咲くので、まさに門出の日という印象が強い。

 とはいえ、我が身を振り返ってみると、4月1日に心の底から「門出」を意識したことはない。小学校入学の記憶はなく、中学校にもいつのまにか入っていて、高校受験もなんとなく終わり、大学入学時はコロナで完全ひきこもりであった。だから僕にとっては、今日この日、大学を卒業して社会に出る(あるいは大学院に入学する)タイミングが、人生最大の節目になる。

 はずだった。

 ところがどっこい、僕は今日から大学5回生である。嘘だろ!?と言いたいが、現実はいつも残酷で、嘘をつかない。ちなみに留年の理由は「モラトリアム延長のために大学院を受験したら、勉強不足で落ちたから」である。試験はいつも残酷で、嘘をつかない。実際僕の勉強は明らかに(それはもう明白に!)足りておらず、試験前から受かる気がしなかった。

 大学院をアテにしていた僕は当然就活をしておらず、そのまま卒業してしまうとただ健康なだけの謎の人間になってしまう。それを避けるべく、学部生生活を延長し、25卒として就職活動を行うことを昨年の夏に急遽決定したのであった。その結果、当初の目標であった「モラトリアム延長」は図らずしも達成され、僕は下宿でゴロゴロしながら本を読んだり、ひたすら音楽を聴きながら鴨川沿いを散歩したり、あるいはnoteでちょっとした文章を書いたりする時間を獲得した。無駄な学費を出してくれる両親には本当に頭が上がらない。もっとも、僕が大学院進学を放棄して代わりに留年したことで、両親の支払う学費は当初の予定より一年分少なくなることになる。見ようによっては得をしているとも考えられるが、まあこれは流石に詭弁だ。留年の学費が無駄金であることに変わりはない。

 そういうわけで、僕の門出は来年の4月1日になる。今は友人たちの新生活がうまくいくことを願いつつ、就職活動に勤しんでいるところだ。今月中に良い報告ができると嬉しいのだが、こればっかりは自分の力だけではどうにもならない。あまり悲観的にならず、気楽に挑戦していけたらと思っている(これはほとんど自己暗示だ)。

 この文章を読んでくれている人(顔見知りもいれば赤の他人もいるだろう)は、今日から新生活を始めるのだろうか。それとも昨日までと変わらない環境で過ごすのだろうか。どちらにせよ、皆さんの毎日が幸福なものになることを心から祈っている。辛いことがあったら逃げてもいいと思う。フィクションも嘘も冗談も、そのために存在するものだ。そしてもちろん、立ち向かってもいい。厳しい現実に立ち向かう勇気は、それ自体が尊いものだと僕は思う。どのような道を選ぶにしても、皆さんの健闘を画面越しにではあるが応援させていただきたい。

 さて、22歳の若造の分際で偉そうなメッセージを書いてしまったことも、自分の現状に言及しすぎたことも、そもそもこの文章の存在自体も、すべてが気恥ずかしくなってきた。今からでも冗談だと思ってもらえないだろうか。記事全体の真偽を少しでも曖昧にするために、厳密にはパラドックスは成立しないことは承知の上で、あえてこう締めくくることにしよう。この文章の内容は、全部嘘です。

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