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0429 穀雨 仕事を辞めた時の話①

 新卒で入った会社を1年半で辞めるまでの記録をしっかり書いてみようと思う。
 人になんで辞めたの?と聞かれたら、ブラックで(笑)と便利な言葉で返しているけど、単純化することに慣れてしまうとどんどん忘れていってしまうんじゃないかと思ったから。

 扱う商品も好きだったし、仕事内容も好きだったし、なにより人が好きだった。ブラックと一言で片づけてしまうのが申し訳ないほどいろんな経験をさせてもらえた。
 BtoCのメーカー、営業職で、百貨店を担当する部署に配属された。OJTでついていた女性の先輩が7月に退職し、その仕事をそのままスライドする形で独り立ちした。任された店はうちの年間販売額全国1位の店だった。
 前任の先輩が退職するのと同時に店の担当者も新任の方に代わり、よくわかってない営業とよくわかってない売り場責任者でよちよちと仕事を始めた。めちゃくちゃな失敗をたくさんした。特に百貨店には独特のルールやタブーがあり、それを見誤って怒られることも多々あったが、業界に珍しい「若い女の子」ということもあり、どこに行ってもかわいがってもらっていたと思う。

 11月頃、大事な仕事が続いて1日たりとも気の抜けないハードな1週間があった。無事その1週間を乗り切り、結果も出せて達成感に満たされていたら次の日の朝店に立つ予定をさっぱり忘れていた。さほど大きな迷惑がかかるミスでもなかったのだが、こんなに頑張ってやり遂げて、最後の最後にケチがついたのが本当に悲しかった。出社すると部長から昨日打ち立てた大仕事の記録を誉められ、「でも、今日、店、忘れてました」と号泣した。それからはしょっちゅうのことになるが、会社で泣いたのはこれが初めてだった。

 2年目の夏頃、百貨店のかなり偉い人と膝を突き合わして話す機会があった。いつもやり取りしている担当者の上の上のそのまた上。当然上長も同席してもらったが、その打ち合わせで次回に行うイベントは今までとは違う気持ちで挑まなければいけないことを痛感した。百貨店の経営方針についていくために、前年の踏襲をしていてはいけない、新しい提案をしなければいけなかった。プレッシャーで胃がキリキリしたが、アイデアはいくつか頭に浮かんだし、少しワクワクもしていた。

 それでも日頃の仕事はいつも通り、それどころか担当店が増えたこともあってとりわけ忙しく、件の最重要課題になかなか時間を割けないままイベントの日が近づいていった。結局持てる時間の中で、最低限をやった。最低限ではだめだったのに。やりたかったことをたくさん残し、やっぱり結果は惨敗だった。
 結果の数字が惨敗だったことはうちだけの責任ではない部分が多かったのでこの際どうでもいいが、ここでは結果よりも過程が重要だったのだ。ここのブランド、変わったね、うちの百貨店についてきてくれるねと思わせることをしなければいけなかった。いや、新卒二年目でそこまでできるわけがないことはわかっている、だからこそ自分の頭に浮かんでいたくらいは全うしたかった。自分の非力への悔しさで吐くほど泣いた。

 入社4か月そこらで売り上げトップの店を任されて、不安しかなかったけど頑張って追い付こうと思っていた。でも商機は私の成長を待ってくれない。やみくもに頑張ります!と言ったところで、私が未熟な期間に会社が失うものの責任は取れない。できないことはできないとしっかり言ったほうが自分のためだし会社のためだ。(そういう判断は会社のほうでしてくれよとも思うけど)
 この時にちらっと退職の2文字もよぎったが、この会社の仕事をこの担当店の仕事のみで判断してはいけない、と思い課長に担当変更を願い出た。係長レベルで仕事の出来る中堅の先輩が後任となった。その先輩にとってもそろそろこういう店を経験すべき、というタイミングだったこともあり、担当変更はスムーズに決まった。


 8月頃、引継ぎの仕事が終わらない、新しい担当店が遠方ばかり、と今までで一番忙しかった。そこに社内では働き方改革の風が吹き荒れ、残業申請なるものが必要になっていた。これが面倒だし手間だしすんなり通らない。持ち帰り仕事もできない環境、困り果てた。こちらはせっかく新しい担当になったんだから労働時間は度外視して働こう、とねじり鉢巻きしていたところ。業務改善もなく、仕事量も変わらないのに労働時間だけ短くしろというトンデモざっくり改革に腹が立った。減らせるもんなら減らしてる、できなくてもできない分をなんとか努力で補おうとする人間は要らないということか?悲しくてなんか辞めたくなってきた。
 残業しないわけにもいかないので、仲が良かった他の事業部の部長(一番の稼ぎ頭だからかしらんけどなぜか働き方改革の枠組みから唯一外されている)に頼み、20時頃店が閉まった後こっそり会社に入れてもらい残業していた。

 そんなこんなで10月頃、働き方改革に逆行してコツコツ働いていたら、もともとおかしかった婦人科系がさらにおかしくなった。1年弱ほどろくに来ていなかった生理が、今度は1か月半ほど終わらなかった。食欲もなかったので貧血もひどく、流石に婦人科に行った。器質の障害はなくホルモン分泌が正常に戻れば問題ないとのことだったが、「不妊の原因にもなるので今回でちゃんと直しましょう」と言われたこと、胸に刺さって取れなかった。
 いま目の前のことに夢中になってなおざりにしたものの代償を支払うのは未来の自分。自分はもちろん、将来パートナーになる人や孫の顔が見たい親にも悲しい気持ちにさせるかもしれない。もう、辞めたほうがいいかもな。自然とそう思えた。数日後には上長に「お話したいことがあるので時間を作ってください」と伝えた。上長はその当日、私が京都から大阪に帰ってくる21時頃、駅まで車で迎えに来てくれて家まで送ってくれた。車中で全部話した。自分の娘のように気にかけてくれていた上長だったので、私の気持ちを肯定してくれた。それでも辞める以外になにか他の選択肢はないか、できるだけ探してみるとのことだった。
 そこでもし私は部署替えの話が来ても断るつもりだった。この会社に入って同部署で鬱になったおじさんたちが特にこれといった対応もなく退職や休職したのを見ていた。新卒だからって私だけが特別待遇なのは筋が通っていない。そんなことをされたら本当に会社のことを嫌いになってしまいそうだった。

 辞意を伝えて数日も空けず、帰社途中に駅で立ち上がれなくなった。めまいと動悸で目の前が白く霞んでいた。そんな状況で得意先から二度三度と電話がかかってきていて、前任の先輩に折り返しを頼もうと電話したらたまたま当人が目の前を歩いており、拾って病院まで連れて行ってくれた。点滴を打ってもらい、まあストレスからの自律神経失調でしょうという感じ。整腸剤だよと処方してくれた薬は後々調べると向うつを主な薬効としたものだった。

 次の日も迷惑かけてすみませんと会社に行き、朝一通りのルーティーンまでは終らせた。が、トイレに行ったら一生涙が止まらなかった。トイレで泣くことは多かったけどいつも2,3分で涙腺をキュッと締めることができていたのに、この時ばかりは壊れた蛇口のように止まらなかった。下の階に仲の良い女性社員二人がいる別部署があったのでそちらで一時かくまってもらい、上長にどうにも無理ですと連絡して諸々を任せ、そこから5日ほど休んだ。

 入社してここで1年半ほどだったけど、入社以来はじめて社用スマホの電源を切った。死んだように寝た。生粋のロングスリーパーで今も昔もずっと眠たいが、私の人生で一番深く眠ったのはこの時だと思う。
 休みの日も朝起きて不在着信を折り返し、二度寝し、また着信で起き、遊びに行っても暇を見つけては応対し、正月以外毎日18時に報告メールを打つ。肌身離さず気にかけていたスマホ。その時残業は月80~100hくらいだったし、ネットやニュースで見る激ヤバ企業と比べれば、まあブラックだけど漆黒というほどでもないのかしら…と思っていた。スマホの電源を切って、数字では測れないところに仕事がびっしりはびこっていたことに気づいた。1年半ぶりにやっと休んだ気がした。休むとはこういうことか、と。休み、まじで最高だった。こんなのもう元には戻れない。今でも覚えているけど、久々に食欲が沸いて食べたチルドのエビシュウマイが本当においしくて、おいしいと思うことが本当に嬉しかった。

 確か11月の頭に退職届が受理され、最終出勤は11月半ばだったと思う。婦人科にかかり辞めよう、と思い立って僅か1か月足らず。慌ただしい退職でたくさん迷惑をかけたにも関わらず、退職日を冬のボーナスの支給日になるよう調整してくれたり、盛大に送別会を開いてくれたり、本当に暖かく送ってもらった。
 理不尽なこともあったけど、上司も同僚も取引先も業界も他メーカーもお客さんも、大好きだった。大好きな人とたくさん出会えた。入ったことにも辞めたことにも後悔していない。

 たぶん当時心療内科にかかれば診断書を貰えたと思う。正直、死にたいとは思わなかったけど、誰か殺してくれとは思ってた。それでも心がしんどい=やめたい、とは思わなかったし、思っても言えなかったし、言いたくなかった。それが私の無駄なプライドからなのか、上司の恩に背きたくないという忠心からなのかはわからないけど、だからこそ体が×を出して限度を教えてくれたことは有難かった。今でこそ自分の心と話し合うことは比較的上手になってきたけど、結構自分の心ってあてにならないから、体のほうを信用しよう。体の言うことはどんな些細なことでも従っておいて間違いない。っていうことに気づけて本当に良かった。

そういえば、先輩から最終出勤日に「ちゃんと麦茶作りや」と言われたことを思い出した。辞めることを打ち明けた日に私が「毎日自炊までしなくても、せめて麦茶を作り置きできるような、そういう生活がしたいです」と言ったことのリマインドだった。ちゃんと麦茶作ろう。

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