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あと10キロ。余裕で痩せたと言うために(エッセイ部門・創作大賞2024応募作)

「あと10キロ痩せましょう」

まさか自分が、お医者さんにダイエットを勧められるとは。

寝耳に水。青天の霹靂。あるいは鳩に豆鉄砲。

ライフル弾もびっくりの威力をもつ言葉は、10キロという重みをまったく感じさせない、ティッシュよりも軽いテンションで放たれたのでした。

このときわたしは80キロの特盛ぽっちゃりで、体脂肪率は44パーセント。
重さにして、35.2キロが体脂肪です。

1本450グラムのキューピーマヨネーズなら、約78.2本ぶん。
そんな大量の油が、わたしの全身をびっしり覆っていたのです。

さすがに痩せないといけない。
けれど先生の言い方に、わたしはモヤッとせずにはいられません。

あんなふうに、ダイエットなんて簡単でしょう?と言いたげな態度を取らなくたっていいじゃない。

そりゃ、太ったことのない先生にはダイエットの辛さなんてわからないかもしれないけれど。
カリカリに痩せた鹿みたいな先生には、絶対にわからないでしょうけれど。

気づけばわたしは邪智暴虐の王に激怒するメロスのように憤っていて、そしてあることを思ったのです。
何としてでもダイエットを成功させて「余裕で痩せられましたよ」とドヤ顔してやろうと。

こうして、先生に大見栄を切るためだけの過酷なダイエットが始まったのです。

ダイエットの内容は、食生活の改善。
80キロの重すぎる体で運動は危険なので、筋トレと有酸素運動は後回し。

やったことといえば、たったの2つ。

ひとつ、夜食にインスタントラーメンを食べないこと。
ふたつ、間食にバター醤油ごはんを食べないこと。

これを毎日、食欲に負けないように続けるだけ。

あまりに簡単なこのダイエットのどこが過酷なのか。痩せている人たちにはきっとわからないでしょう。
わからないでしょうけれど、説明しましょう。
ぽっちゃりにとって、食欲との戦いは『いちばん好きなことをやめる』ことに等しいのです。

わかりやすく言うならば、メジャーリーガーから野球を取り上げるようなもの。
プロゲーマーにはゲームをさせず、絵描きの筆を折り、恋するピュアな子どもからは好きな相手を奪う。

そんな残酷にもほどがある仕打ちの先にしか、痩せた体は手に入らないのです。

だとしても、わたしは好きな食べものを断たなければいけなかった。
全ては先生に大見栄を切るためだけに。

大見栄。
そう、痩せるためにはそれだけあればいい。

ダイエットにおいて最も重要なものは、食事でも運動でも環境でもなく、ましてや気合いや根性でもありません。
三日坊主で終わらない、モチベーションの持続だったのです。

1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月。
わたしのモチベーションは衰えません。

怒りの炎はあまりに激しく、むちゃ食い工場生産ライン・言い訳加工・甘ったれ塗装で作られたメープルシロップまみれの心は一瞬で蒸発。

わたしの中に残ったのは、先生のティッシュみたいなテンションを燃料にいつもいつでもいつまでも燃え続ける無敵のハートだけでした。

4ヶ月、5ヶ月、6ヶ月。
体重は面白いようにするする落ち、体脂肪率もみるみるうちに減っていきます。

7ヶ月、8ヶ月、9ヶ月。
ダイエットももう、すっかり慣れたもの。

10ヶ月、11ヶ月。
ゴールは見えた。あとは全力ラストスパート。

そして1年後、わたしは10キロ痩せることに成功し、病院を訪れました。
ようやく、やっと、待ちわびていた瞬間がやってきたのです。

「先生、70キロまで痩せられましたよ」

全力のドヤ顔で、わたしは先生に告げました。

すると先生は、鹿にそっくりな顔でにっこり笑ってこう言ったのです。

「では、もうあと10キロ痩せましょう」

2枚目のティッシュが、わたしの心の炉の中に投げ込まれた瞬間でした。

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