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赤い戦車

先日、人に筆で文字を書く機会があった。
1ミリたりとも過不足なく、それでいて真っ直ぐに言葉を伝えるためにはどうするべきだろうか、安直になんとなく、筆で書くべきだと考えた。バイト終わりに文具屋で筆ペンを探すと、陳列棚の短辺の面(なんという表現だろうか)一面に筆ペンがずらっと並んでいた。筆ペンてこんなにあんのやなあ。太字のものを手に取ると、それに合った便箋も選んで帰った。

炬燵の上でぴりりと無地の便箋を一枚めくると、つるつるした面を上にして置いた。私はやはり小学生の頃の習字を思い出していた。文鎮の重みが好きだった。硯を洗いたくて仕方なかった。母が子供のころ6年間習字を習っており書に厳しく、宿題に出されて家で書くのが苦手だった。そういえば、筆ペンはおろかわざわざ筆に墨をつけて書を、などということは避けるまでもなく最近する機会が無い。デザインの一環として、真っ黒のコピックで筆文字を書いたことはあったかなあ。

筆ペンの柄をむにむにと押すと少し透明がかった毛筆に墨がゆっくり滲む。さて緊張の一歩。便箋に筆がゆっくりのしかかる。なんということか。なるほど毛筆というのは、墨というのは、私が表現するにはこんなにも繊細なのだ。至極当然であり恥ずかしい限りだが、やはり私がふっと気を抜くとふぬけた顔をするし、力みすぎると大味になる。私はテレビを消して目の前の表現に傾注することにした。うるさいくらいの静寂の中で一人己の精神と対峙していたが、筆文字のその繊細さは、私の阿保のように真剣な気持ちと痛いほど向き合ってくれているようだった。

筆文字。ざらざらしたコンクリートの壁に、親指をずりずりと押し付けてできた血痕。私の跡。私が食べたもので、見たもので、感じたもので出来た跡。

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