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スイミングの思い出1

 健康のために、近所のスイミングスクールに泳ぎに行っていたことがある。

大学1回生の夏休み、プールでひと泳ぎしてからアルバイトに向かうというルーティンがあり、
おばあちゃんだらけの中ちゃっぷちゃっぷと四肢を元気に動かしていた。
 ロープで分けられたコースでは泳ぎ方が分けられており、泳ぎ続けるコースに行き疲れれば
水中で歩くのみのコースに移り、絶えず体を動かすよう工夫するなどしていた。
  プールでは25メートルのコースが8レーンほどあって、そのどのコースもがほぼおばあちゃんで埋まっており、私はというと一人ずんぐりむっくりチビ大学生で浮いていたためよく声をかけられた。
 反対のコースから泳いできたかわいいおばあちゃんに「たまごちゃんみたいやね…!」と言われたこともある。
うふ、私もまんまるの水泳帽のたまごちゃんだったが、あなたもまんまるの水泳帽だから一緒にたまごちゃんだよと、思っていた。
 明るいうちのスイミングスクールは一度ドプンと潜ってしまえば、おばあちゃんの足々に太陽光がきらきら差し込んでいて絶景だった。ざわざわしていたのも急に鈍くなって、私は違う次元に来てしまったみたいな不思議さを感じて。すーっと水面に上がればぐぐ、と抵抗があるけど、私はクロールの第一手を掻くために元の次元に手を伸ばす。いつも泳ぎ始めからのここまでが好きだ。
 
 泳いだあとのバスタオルやお風呂に入った後のような副交感神経の高まりももちろん大好きだった。ふわふわとしていると、よく話しかけてくれるおばあちゃんが私のドライヤーを使った後の洗面台を見て、「今の若い子はどうなってんのかねえ。」と他のおばあちゃんに話しかけていた。私は裸眼により気付かず、洗面台に抜け毛を放置してしまっていたのだ。
そのおばあちゃんは私がいるとは思わず(恐らく)、私の軽悪口を言ってしまったのだろう。
毎日を過ごす中での唯一のオアシスと依存してしまっていたため、このような少しの亀裂でバリバリと心がひび割れていき、パンツを履く手を止め今にも泣きそうになっていた。
 誰でも、相手がいないところでその人の悪口を言うだろう。理解はしているがいざ目の前にするとショックなものだ。私は「おばあちゃん」を聖人君子と思いすぎていたし。
 はあ、そういえば帰宅後、母に話した時に「それはあんたが悪いわ」と言われたのを思い出して嫌な気持ちになった。も〜まず「どう思う!?」と言うスタンスで話してなかったし、悪い人には何をしても良いみたいな母のスタンスがさらにこの思い出のしんどさを増している。
 この時からお昼のスイミングに行けなくなってしまった。


 

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