「ステイホーム」という言葉がなくなるとき
「ステイホーム」という言葉が最初に使われたのは、いつだったでしょうか。
おぼろげな記憶ですが、確か小池都知事が第1回の緊急事態宣言中の会見で使ったのが始まりだったような。
これでした。
「ステイホーム」という言葉は東京にとどまらず、全国に広がっていきました。
そして1年弱経った今でも、変わらずスローガンのように掲げられ続けています。
ですが、この言葉があるうちは、本当の「ステイホーム」は定着しないのではないかと最近ふと思いました。
私たちの生活において「外出する」ことが大前提だったからこそ、生まれた「ステイホーム」という対立する概念。
「ステイホーム」が前提の生活にならないと、言い換えればこの「ステイホーム」という言葉を使わなくてもいいくらい当たり前になるまで、本当の意味での終息はやってこないのかなと思います。
ちなみに我が家では基礎疾患を持っている家族がいるため、コロナがまだそこまで流行ってきていない昨年2月ごろから、すでに「ステイホーム」を自主的に始めていました(当時はもちろんそんな言葉はありませんでしたが)。
会社も辞めて、すべて自宅で完結するフリーランスに転向しました。
そして今も「ステイホーム」という単語は我が家では一切使われません。
なぜなら、それが当たり前すぎて使う必要がないからです。
これは推測ですが、医療従事者の方々にも「ステイホーム」という言葉はあまり使われていないんだろうなと思います。
福祉に従事している私の友人も、半年先の共通の知人の結婚式出席を真っ先に辞退していました。(私も残念ながら辞退させていただきました)
危険と隣り合わせの中、責任感をもって必死に対応してくださっている方々には本当に頭が上がりません。
私も外に出ることは本当は大好きでしたが、ここから数年先まではもう元に戻れないことを覚悟しています。
ですが、医療従事者の方々に比べればそんなことは大した苦労ではありません。
家の中でも楽しめることを見つけ、外出できないストレスとうまく付き合っていくだけのことです。
通販でショッピング気分を楽しむ。
窓から新鮮な空気を取り入れる。
しんどくなった時は、SNSなどで気持ちを打ち明ける。
「ステイホーム」という言葉がなくなり、感染が終息するまで「ステイホーム」をやり続けることが、いま私にできる数少ないことの一つなのかなと考えています。
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