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記事における「お手本」とは―note公式のコンテストに思うこと

こんにちは、餅田です。

ふと思ったことを書きます。

note公式さんがよく開催している「コンテスト」ってありますよね。

知らない人向けに簡単に説明すると、企業などが協賛し、一つのテーマに沿った投稿を募るというnote内のイベントのようなものです。

私もコンテストのテーマに沿って執筆したことがありますが、このコンテストの要項のところに、すごく気になる表現があります。

ちなみに今開催されているイベントはこんな感じです。

勘の良い方はもう、私の言いたいことをおわかりだと思います。

「お手本記事」って、なんだろう

noteのコンテストでは、note公式に依頼された各界のインフルエンサー・ライターが投稿した記事を「お手本記事」として紹介しています。

「投稿をする上での参考にしてください」という公式の文言通り、何を書こうか迷っている人などが、その記事を読んで「なるほど、こういう風に書けばいいのか」と道筋を立てることができるようになっています。

それ自体は良いことだと思いますし、私もたまにこの「お手本記事」を興味深く読ませていただいています。

ただ、この「お手本記事」という名前に違和感を覚えたのです。

そもそも、記事に「お手本」ってあるんでしょうか?

もちろんnote公式はそんなところまで考えていないと思いますが(むしろ考えて意図的に使っているのであればちょっと怖い)、この単語からは文章に正解不正解があるかのようなニュアンスを禁じ得ません。

「何かしら自己啓発の形で締めくくらなきゃいけない」といったような、読書感想文における謎の圧に近いものを感じてしまいます。

「名前なんて何でも良いじゃん」と思うかもしれませんが、奇しくもここは文章投稿のプラットフォーム。

たった一つの単語くらい、で切り捨てて良い問題なのでしょうか。

「あるべき論」のようなもの自体がこの時代にそぐわなくなってきている中、記事のような特に自由度の高いものに対して「お手本」を定義することはあまり適切ではないように感じました。

建設的な議論の「お手本」である代替案を挙げるとしたら、「『参考記事』くらいで良くないですか」ととんでもない尻すぼみで締めくくりますが…

それくらい、「お手本」以外なら何でも良いくらいのところでなぜこの言葉がチョイスされたのかは少し不思議です。

noteさんは毎月素敵なコンテストを開催してくれていますし、それ自体は活気づくりという面でもとても素晴らしいことだと思っています。

今回の件は、自分のライティングにおける言葉選びを見直す上でも非常に良い機会となりました。

興味深い記事を書けるように精進します。 いただいたサポートは、豊かなアウトプットには欠かせないインプットの費用に充てさせていただきます。