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「書くこと」が人を育てるワケ

このヘッダーめちゃくちゃ好きだ。(お借りしました、ありがとうございます!)


こんにちは、ライターのめぐです。

書くというお仕事に最初に携わったのはもう9年くらい前。

あの頃はただ「文章書くの好きだからライターのバイトでもやるかー」ぐらいのテンションで、
今ほどライターとしてやっていく覚悟も、これで食べていくつもりも全くありませんでした。

しかし、深く携われば携わるほど文章を書く面白さに気づき、そこからどんどんハマるハマる。

さらには面白さだけでなく、書くことによって自分自身がどんどん磨かれていくライティングの素晴らしさにも気づきました。(どの仕事でも自分を磨くことはできると思いますが)

今日はその中でも、「」という側面にフォーカスしたお話を一つ。


半端な責任感では書けない

もちろん、ライターもピンキリで、人によっても取り組み方は様々でしょう。

誤報が絶対に許されないマスメディアの記者たちは、それはもう丹念に裏取りをしているはずです(そうでなかったら衝撃)。

メディアでないとしても、間違ったことを書いてしまったらクライアントに傷がつきます
そんなことは絶対に許されない。

私は文章を書くときは常に厳戒態勢です。(見た目にガチガチという訳ではありませんが)

間違った情報を書かないことは大前提で、
一つのオーソドックスな日本語表現でさえ、「自分の勘違いで誤用していないか」を確認することも。

それには理由があります。

一つの誤りでサイト全体の信頼性が失われる

単なる表記の間違い一つだったとしても、です。

大げさだと言う人もいるかもしれませんが、本当にそうでしょうか?

例えば、全く同じ情報を書いているブログが二つあったとします。
グーグルのことを「Google」と表記しているサイトと、
作者の勘違いですべて「Gogle」と表記されているサイト、
どちらの内容が信ぴょう性が高く感じますか?

例は変えていますが、実際に似たようなことがありました。

これは恐ろしいことです。

「(表記を)勘違いしたまま書ける人」は、「(情報を)勘違いしたまま書ける人」というイメージにシフトします。

「単なる誤用」は、記事自体サイト全体に対する印象を損ねる可能性があるのです。

調べることが自分を豊かにしていく

「豊かにする」というのには「(内面的に)豊かにする」ことと、ゆくゆくは「(経済的に)豊かになる」という二つを含んでいます。

たとえ依頼されたライターの仕事が納品完了で終わったとしても、
そこで調べて蓄積された知識は自分の中に残ります。
それは、時に報酬よりも豊かな財産になります。

私も今までたくさんのクライアントに出会い、知らないことも調べながら書いてきました。
普通に生きていたら全く関わらなかったであろう分野もたくさんあります。

自分が今ライター以外に新たに始めたことも、
思えばクライアントから任せてもらった仕事の内容がきっかけでした。

書くことによって、世界が広がることは間違いありません。


書くのが苦手な人こそライターに向いている?

ライターをやっていると、「自分は文章を書くのが苦手なのですごいです」というようなことをよく言われます。

確かに、ライターさんで文章を書くのが苦手という人はあまりいません。

苦手なことを好き好んでやる人は少ないので、そりゃそうといえばそうですよね。

ですが、文章を書くのが苦手な人こそライターに向いているのではないかと最近私は思います。

書くことに苦手意識がある人は、「この表現合っているかな」「文章はまとまっているかな」と自信がない人が多いでしょう。

でもそれくらいでいいと思うんです。

それは「適当なクオリティで良い」という意味の「それくらいでいい」ではなく、
「そのくらいの自信でいい」ということです。

自信がない人はとにかく調べます

内容についても構成についても調べて学びながら書くから、結局は良い文章が書けるのです。

食わず嫌いしていた方も、これを機にライターの門を叩いてみてください。


・・・?

門(もん)を叩(たた)・く 
訪ねて行く。訪問して弟子入りを頼む。「大作曲家の―・く」
(小学館「デジタル大辞泉」より)

「ライターの」というのはやや誤用になっている感じがしますね。

この場合、有名ライターの名前などを入れるのが正しい使い方でしょうか。
言いたいこととニュアンスが変わってしまいますが。


…といった風に、知識が増えていくのです。

興味深い記事を書けるように精進します。 いただいたサポートは、豊かなアウトプットには欠かせないインプットの費用に充てさせていただきます。