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なぜうつ状態になってしまったのか 【改善策編】

うつ状態に陥り、”おいとま”をいただいている

前回の記事では、なぜこのような状態になってしまったのかを考えた。
今回は、じゃあどうしたらよかったのか/どうしたらいいのかについて記したい。

前提:私について(前回記事と同一の内容)
・職業:大学院生(博士後期課程)
・分野:社会科学(一応文系)
・人間関係:大学院関係は極めて良好(研究環境や指導教官への不満は一切ない)
・経緯:1週間ほど前に、恋人に「うつだよ、とにかく休め」と言われて、休んでいる。(病院・カウンセリングなどは未受診)

***

解決策:人と比べず、自分の目的に忠実に

「人と比べない」と言われて出来たら、それで悩んでいる人みんな、苦労していない。わかっていても、徹底することは難しい。

だから、単に「人と比べない」だけではなく、「自分の目的に忠実でいること」を意識したい

近い分野の人や、近いテーマに取り組んでいる人はいても、全く同じテーマに取り組んでいる人は、滅多にいない。(たまに丸かぶりして肝が冷えるというケースは、残念ながらあるらしいが)

私の研究は、私だけのもので、研究の先にある”知りたいこと”は、”私が知りたいこと”だ。付随する様々な意義があっても、あくまで第一の目的は、”私が知りたい”なのだ。

だから、その物事を知るためにはどうしたらいいか、どうしたらより効率的にわかるか、を考え抜かないといけない。大小さまざまな目的に対して、逐一、考えて行動しなければいけない。

そうやって、自分の目的のために考え抜いた行動を取っていくしかない。そうしている限り、他人などどうでもよいことで、あくまで自分の目的のためになっているかどうかだけが焦点になる。

他人に追いつくことが目的じゃない。自分の知りたいことに忠実であること。

これが、いまの私が思う根本的な解決策だ。

具体策①:失敗を恐れずに、トライする

初めてのことが万事うまくいく事はまれで、慣れている事であってもミスするときはする。結局、なんでもトライ&エラーでやっていくしかない。

トライした結果のエラーは、問題点が明らかになったと言う意味で、進歩している。他人から遅れをとった、できなかった、などと焦る必要などなく、ただその明らかになったエラーに冷静に対処すればいいだけなのだ。そうして、経験値というものがついてくるのだと思う。

「わからないことが”わかった”」「できないことが”わかった”」のであって、決して何も進んでいないわけじゃない。

具体策②:もう少し気ままに作業する

膨大な、溜まり切ったToDoを前に、やる気がでないというようなことは、以前のnoteでも書いた。そのやる気の喪失をなんとかしようと、ツールに頼ったさまも、書いた。

大学院生はフリーランスと似たようなものだろうから、もっとビジネスライクに、タスク管理をきっちりしよう!と、あれやこれやのタスク管理法やツールを試していた。

それでも、結局、膨大なToDoを前にやる気が削がれていくことは変わりないのだった。作業予定を組んでも、予定通りにはいかず、予定通りに終わらせられなかった自分を責める。

そんな私の姿を見て、同じ分野の大学院生である恋人が言った。

予定とかToDoとか、放り投げて気ままに作業したら?やらなきゃ意識が強すぎて、研究楽しくなさそうに見えるよ」

目から鱗だった。「きちんとやらなきゃ」と思ってきたのに、真逆のことを言われた。

「”きちんとやらなきゃ!”でやる気が削がれていくんだったら本末転倒でしょう。研究者は思考力が命なの、わかってる?」

強めに説教されてしまい、考え方を変えた。

前述のとおり、あくまで自分の知りたいことがどうしたらより効率的にわかるかを考える必要があるのだから、”きちんとしなきゃ”にとらわれる必要などないのだった。

恋人は、まあ気分屋で、その日にやりたいことをやっている。遊びに行きたいと思えば遊びに行くし、この作業がしたいと思えば、他のが途中でもやっている。(それでもやるべきことはキッチリこなしているからすごい)

こうやって、もっと自由にやってみてもいいのだ

そう思ったから、”きちんとしなきゃ”を卒業して、膨大なToDoを前に凹むことも卒業して、目の前のやりたいことに集中していくことにした
作業の時間がかかっても、次はどうしたら早くできるか考えて試していけばいいじゃない。遊びに行きたければ、遊びに行けばいいじゃない。この自由気ままなスタイルでやってみて、どうにもだめだと思ったら、また見直せばいいじゃない。

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まとめ:自分の目的は何か

長々と書いたけれど、書いてみると当たり前のことすぎて驚いている。
けれど、この当たり前のことが難しいのだなと思う。

結局のところ、解決策として書いた「自分の目的に忠実に」ということにやっぱり尽きる。
研究でもなんでも、自分の目的を見失うことなく、それに向かって一歩一歩進んでいければ、失敗しようが、思ったより進捗が芳しくなかろうが、人よりもできないことがあろうが、よいのだ。

でも、逆に言うと、自分の目的があやふやだとつらい。目的から逆算して考えられないので何をすればいいかもわからないし、目的のある人を見て羨んで比べてしまう。

だから、最近、この目的についてよく考えるようになった。
取り組む研究に関するものだけではなく、研究というものを通じて自分が何をしていきたいのか、どうありたいのか、などなど。

そうやって考えていると、また気分がどんよりしてくることもあるのだけれど、きっと研究者を目指す者誰もが通る道なのだろうから、無理のない範囲で、思考をめぐらしている。


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