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過保護で理不尽で、”人間”だった、おかあ

母は、たぶん、過保護だった。

遠距離恋愛をしていた当時の彼に会おうと、はじめて海外へ行こうとしたとき、猛烈に反対した母。
現地の空港まで彼が迎えにきてくれるが、それまでの飛行機がひとりだったことが許せなかったらしい。

当時の私は、大学も卒業した23歳。
「トランジットの空港で誘拐されちゃう!絶対だめ!」と電話口で大号泣した母に黙って、アメリカへと飛んだ。

母は、結構、理不尽だった。

一度「いいよ」って笑顔で許可したことであっても、本心では渋い顔をしていて、都合や機嫌が悪くなったりすると、「やっぱりだめ」と覆す母。
「やっぱりだめ」な理由をあれこれ並べられても、よく意味がわからなかったり、納得したと言っていたことを何度も蒸し返されたり。
「はなのことを思っていっているのに」と号泣しながら、「どこにも行かせない」と玄関の前に椅子を置いて座ったことも、あった。

理不尽で過保護。その姿勢が、私にどんどん母を疎ましく思わせ、不信感を抱かせることに、母は気付いていなかった。
メンヘラ、ヤンデレ。そう母にレッテルを貼り、大学生になる頃には、家には寝に帰るだけになった。

母は、たぶん、弱かった。

3人兄弟の長女で、いつだって「しっかりしなさい」と言われて育った母。ギャンブル・借金・浮気のトリプル最低コンボを決めた夫と別れ、一人で幼き私を抱えなきゃいけなくなった母。
しばしば、母はヒステリーを起こしていた。「もうお母さんなんていらないんでしょ!でていく!」そんなことを言い、しばらくして戻ってきては、「はなちゃんのいない人生なんて、考えられない」とひたすら謝って、泣き、子供の私にすがるのだった。

成長し、高校生・大学生のころ、母の愚痴を聞くのは私であった。同じ過去の話を、なんどもなんども、言う。母の母の愚痴を、言う。こちらが眠い目をこすっていてもかまわず、愚痴話が終わるのは夜中の3時。そんなこともしばしばあった。

「はなみたいな子が子供のとき友達だったらよかったのに」
そう言われるたび、心の中で、「絶対にごめんだ」と思っていた。

母は、当然に、人間だった。

理不尽な振る舞いをし、ヒステリーを起こし、娘を夜中まで起こして愚痴を吐き続けていた、母。
”毒親”に当てはまってしまうかもしれない振る舞いを、母がしてしまっていたのは、母だって人間だったからだ。

弱い弱い、傷ついた人間。疲れきって、つらくても、誰にも「助けて」と言えなかった人間。母親である”彼女”だって、そんな一人の人間で、当然に弱かったり未熟だったり、精神を病んだりするのだ。

我が子を”生きがい”にして、すがる相手にして、見捨てられないようにベッタベタに囲うのは、”彼女”の孤独が、弱った精神が、そうさせていたのだ。たぶん、きっと。

これまで、こちらの精神がダメになるほどには、母との関係はしんどいものであった。
母と離れたくて、半ば無理やりに一人暮らしを始めてもなお、その都度届くラインや悪口のたくさん書かれた長文の手紙に、こころは蝕まれていった。

「お前のせいで私の精神はめちゃくちゃになって医者にまで行ったんだ」
人生ではじめて、遠慮なしにブチ切れた手紙を送ったのは、2年前。それから少しずつ、母からの手紙が落ち着いたものとなっていった。

そうして、いま。
「人、それも大切な人のことを常に気にかけていないといけない」そんな状況に少しだけ私もおかれて、はじめて、母のつらさが少しわかった気がした。

独りっきりで、我が子を育てていかないといけない。
目を離した隙に、あっけなくいなくなってしまうかもしれない、小さないのちを守らなきゃいけない。仕事だってしないといけない、家事だってある。”母子家庭”だって、馬鹿にされないように、立派に子供育てなきゃーー

意味不明だった、母の振る舞い、言葉、表情。
パズルのピースのように、カチリとつながっていく。
点と点でしかなかった、個々の”嫌なところ”が、つながって。私が断片的にでも得た感情に、つながっていく。

母も、当たり前に、人間だった。
強いところも優しいところもあるけれど、弱い弱いところもある、私とおんなじ、人間。

思春期の頃から、意味不明な母を、お母”さん”ってさん付けするのが、いやで。「おかあ」って呼んでいた。

そんな心を知らずに、「おかあはね」って自分でも呼ぶようになった、母。親しみの証のように、自分のこと「おかあ」って言っていた、母。

はじめてだよ、いま、会いたいなって思ったの。

ねーえ、言ったことないから知らないだろうけどさ。
かきたま汁と、さといもと鶏肉の煮物、かなり好きだったんだよ。離れてみて、好きだったことに気付いたの。手料理で一番好きなのは餃子だと思ってたし、そう思われているだろうけれど、でも、他にも好きなの、結構あったんだよ。

いま、家業が一番忙しい時期だね。今年は特に、いろいろ騒がしいけれど、身体に気をつけて。

そっちが落ち着く4月には、会いに行こうかな。

そうしたら、今度はちゃんと親しみを込めて呼ぶよ、おかあ。



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