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”憧れ”の前向きなちから

憧れの人を思い浮かべると、なんだかほんのちょっと、背筋がシャキッとする。

私の憧れの人は、私が専攻する分野で活躍する、女性経済学者。

経済学の中でもひときわ女性の少ないこの分野において、国際機関のエコノミストを務めながら、トップジャーナル掲載に至るようなすごい研究をバンバン連発している彼女。

海外のお方らしいくっきりとした目鼻立ちが、余計にキリッとした雰囲気をあたえていて、なんだか余計にかっこよくみえてしまう。キリッとかっこいい女性は、憧れなのだ。

話したこともない彼女のことを意識するようになったきっかけは、彼女が書いた論文を読んだこと。
「ほー」と読んでいたけれど、細かなところが気になった。

「あれ、ちょっと”普通”のやり方と違うな。なんでこんなことしているんだろう」

「さてはちょっとテクいことして結果出してるな?」と、一度は疑ってかかった。

でも考えていくうちに、わかった。
彼女の方法は、とても誠実で、正しいやり方だった。
「このやり方は、自分の作った理論モデルの世界に忠実であるためのやり方なんだ」と気づいたとき、感嘆のため息が出た。

ちゃんと、細かい世界感の整合性まで考えている。すごい。

ほどなくして、こうした整合性をとることは当たり前のことで、彼女に限らず皆がやっていることだと知った。

同時に、いままで”普通”だと思っていたやり方と、彼女のやり方は両方”スタンダードな方法”であることも知った。さらには、その2つのやり方には相互に問題点があり、深い深い論争の歴史があることを知った。
「これが”普通”」って思い込んでいてはいけないんだな、と気付かされた。

彼女のやり方が特段めずらしいものでも、めちゃくちゃにすごいというわけでもないことが分かってもなお、「すごい」の衝撃は残り続けた。

そうして彼女が、自身が働く国際機関が配信するポッドキャストで様々な経済問題を聡明に簡潔に語る様をみて、「すごい」に「かっこいい」が加わった。
そこから「憧れ」になるまで、時間はかからなかった。

ちょっとしんどい、家でのおこもり生活。

気分はどんよりで、切り替えが難しい。
狭いおうちの、狭い狭い机は、長時間の作業には向かない。おまけに振り向けばすぐに、お布団の誘惑が待っている。

ついついぼんやり、だらっとな気分。それをちょっとでも吹き飛ばしてくれるのは、あの彼女の存在だ。

ああ、もう眠いよう。お昼寝でもしちゃおうかな。
ーーでも、彼女はいま何しているんだろう。お昼寝なんて、してないよな。

だるいだるい、ほんとやる気が出ないなあ。
ーーあ、あの機関からニュースメールだ。彼女、また新しいレポート出したのか。

今日もこれ終わらなかった……もういいや、寝ちゃおうかな。
ーーでも、彼女とこのことについてお話ししてみたいなあ。

「わたしも、がんばろ。もうちょっとだけでも」

憧れの人を思い浮かべると、諦めは小さな希望に変わる。
焦りまじりの「やらなきゃ」が前向きの「やらなきゃ」に変わっていく。ちょっと、ふしぎだ。

遠い遠い、雲の上のような存在である、憧れの彼女。

でも彼女は、こうやって私のすぐ近くにいて、なんだか見守ってくれているような心地がしている。


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