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MBTIが同じだから、同じ人間?

思い込んでしまう節が割と昔からあったように思う。
似た出来事をすぐに頭の中でカテゴリー分けしてしまうのだ。
ジンクス的な、この前これが起こって上手くいかなかったから、今回も失敗してしまうのでは、みたいな。
考えている時はその思い込みに気づかないのが怖いところで、解決策は紙に書くこと、そして何のその2つに何の関連性もないことに気づくことじゃないかと思う。

MBTIと思い込みについて。
MBTIが同じだからって同じ人間である訳ではないこと、頭の中ではわかっている。でも、どこかで同じカテゴリーに入れている自分もいるのだ。
あ、ほぼ自分ね、みたいな

私のMBTIはENFJで、たまに一緒な人に出会うことがある。

バイト先の人で、凄く仲良くなった面白い院生の人が同じMBTIと知った時は嬉しい半分、がっかり半分みたいな感じだった。
なぜがっかりしたかというと、私はその人の内側が自分と違うだろうと考えて面白がっていたのに、それが同じだってことが種明かしされてしまったからじゃないかなと思っている。あ、掘っても掘っても最終的には自分と同じ形の何かが出てくるんだみたいな。

反対に、こんな大人は嫌だなって思う人が同じMBTIでがっかりする時もあるのだ。最近出会った大人で
「あの人、あなたの悪口言ってたよ」と言う年上の女性 とか
人の失敗に凄く厳しい男性 とか

到底憧れられるような姿ではなくて、私もそうなのだろうか、そうなるのだろうかと思うと心底嫌な気持ちになるのだ。
ENFJの悪い側面として、無駄な正義感とか自分を主人公、他を脇役とする風潮があるとか書かれているし、外からの見え方は自分ではわからないから

友達にそれとなくこのことを話したら、
MBTIが同じだからって同じ人間ではないし、
それが表しているのは16タイプの内の考え方みたいなものだから。
と言われて、

確かにそうだなとも思う、その基盤となってる、倫理観とか信条、これまで見聞きしたものとかは諸々異なっているはずだから。

つくづく、私は自分と他人は異なる存在ということを忘れがちだと思う。
その傾向が強いからこそ、共通点があると、同一視が加速するんだと思ってる。

どれぐらい異なっているかなんて毛頭わからないけれど、
確かに私達は違う人で、その中にかすかにあるわかりあえるポイントで合流しているだけのことを忘れないようにしたい。

本当がどうとかは知らない、ただ同じだと思っているとそれは期待していることになるし、わかるよね?みたいな職務怠慢な感じがする。
あくまで違うものとして、分かり合えた時にそれを喜び合う方が魅力的なんじゃないかと思うのだ。



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