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私の職歴書 vol.1_坂道を転げ落ちるような挫折を経験した就職活動


はじめに

こんにちは。
株式会社エイチームコマーステックの望月と申します。

株式会社エイチームコマーステックは、名古屋に本社がある株式会社エイチームのグループ会社で、私は代表を務めています。

私は社会人経験20年以上となかなかのベテランになってきましたが、3年前に設立されたばかりの若い会社で経営デビューし、日々奮闘中です。

そんな経営者として未熟な私が、成長するために様々なインプットや思考を繰り返す中で、気づいたことや分かったことなどを発信するnoteを毎月書いています。

何を伝える記事か

最近、社外の方と会話する際に、「望月さんのnote読みましたよ」と言っていただく機会が増えており、結果として理解していただきやすくなったと感じています。

その上で、私がこれまで書いてきたnoteを振り返ると、現在の思考や気付きに内容が偏っていて、私を作り上げてきた過去の経験や出来事についてについてはあまり書いていないので、記事化していこうと思います。

失敗経験ばかりになりそうですが、私を知っていただく機会や、同じような環境に身を置くビジネスパーソンのヒントになれば幸いです。

私の職務経歴

2001年 ファーストリテイリングに新卒入社
2008年 楽天に中途入社
2015年 エイチームに中途入社

ファーストリテイリングではユニクロの店長を7年半、全国6店舗で店長を経験。
日本で最も成功している商売の考え方やチェーンストアの運営の原理原則を学びました。

楽天では、楽天市場のECコンサルタントやそのマネジメントを7年半、5つの支社で経験。
toBの取引やIT業界の仕事のやり方を身につけました。
また、初めての転職ということもあり、会社の文化の違いに戸惑いつつも視野を広げることができました。

現職のエイチームでは、営業の責任者や自社メディアの責任者、ECサービスの立て直しや事業譲渡、自身で企画した新規事業の立ち上げや子会社の代表など、幅広く経験させていただき、自分なりに正しいものの見方、考え方がつかめてきたように感じます。

就活の開始

最初の振返りは、社会人に向けた最初の一歩目で大きな挫折経験をした就職活動にしたいと思います。

私の大学生時代は、典型的なダメ学生だったように思います。
一日の時間は遊ぶこととその資金稼ぎのアルバイトに費やしていて、今思い返すと、あの頃少しでも経済やITに興味をもって学んでいれば、もう少し違った人生だったかもしれないと考えることもあります。

そんな私が就職活動で選んだ業界は、化粧品メーカーでした。
化粧品に全く興味はなく、選んだ理由は「競争相手が時間の経過とともに減っていくから」でした。
現在の状況は知りませんが、当時の化粧品業界は社員の女性比率が高く、また結婚した女性が退職していくという話を先輩から聞いていました。
働くことの本質や自身のキャリアなどまともに考えていなかった私は、生き残りたいという本能のみに従って短絡的に業界を決めていました。

私が大学を卒業した2001年は、長く続いた平成不況やITバブルの崩壊で世の中が停滞しており、多くの大手企業が新卒採用を止めるような異常事態でした。
そんな大変な状況では、本来私のような浅はかな考えの学生を企業が採用するわけもないのですが、奇跡的に一社で選考が進んでしまったのです。

この選考が、私の就職活動を大きく左右することになるとは、この時の私は全く気づいていませんでした。

初めての挫折

東京に本社をおくその化粧品メーカーは、商品や業界に興味がない私でも耳にしたことがある会社でした。
人事の社員さんが、選考の途中で「望月くんの最初の赴任は浜松あたりかな」という話をするほどとても私を気に入ってくださり、私は内定に向けて強い手応えを感じていました。

その会社の選考は、一ヶ月に一選考プロセスと時間がかかったため、他社とはペースが合わず、また私の志望度も高かった(?)ため最終面接の時点ではその会社に絞っていました。

私はぐうたらな学生生活を送っていましたが、先輩の誘いでボランティアを経験しており、それが就職活動で生かせると判断した私は、全ての面接でボランティアのを自身のアピールポイントとしてプレゼンしました。
今考えると、かなり的を外していて、思い出したくない黒歴史です。

最終面接で対峙した人事担当の役員の方にも、同じエピソードをプレゼンしたのですが、どうも様子がおかしいと思いました。
どれだけ話をしても、役員の方の表情が全く変わらず、手応えを感じないのです。

不安を感じながらも「浜松に赴任する話も出ていたし大丈夫だろ」と無理やりポジティブに考えていた私に、現実は容赦なく、そして残酷な結論を突きつけてきました。

「望月くん、残念ながら…」

電話で人事の社員さんから頂いた不採用連絡で、絶望の谷底へとまっさかさまに落ちていきました。
その連絡を受けたのは4月の中旬で、多くの業界では選考が終わっており、就職活動としては終盤といえる時期でした。

奮起と再始動

二日程度、絶望で何も手につかなかった私ですが、三日目には無理やり立ち上がって大学の就職課に向かいました。
それは決してポジティブな行動ではなく、自分にとって最悪の事態である「就職浪人」や「無職で卒業」をリアルに想像したからでした。

改めて自分が働く目的を考え直すと同時に、5月から新卒採用を開始する業界を調べることにしました。
すっかり自分を見失っていた私は「やりたいこと」が見えませんでしたが、「やりたくないこと」ははっきり見えたため、働く目的を「金銭面と精神面で自立すること」としました。(やりたくないことの詳細は最後に書きます)

当時は、不況のため初任給が安く、また勤務地が都内になっている会社が多かったため、私の目的が達成できる会社はなかなかありませんでした。
そんな中、5月に採用が始まる業界にアパレルがあることを知り、興味なさげに各社の求人を眺めていると、「完全実力主義」「最短半年後に店長になれる」「全国転勤」という文言が目に止まりました。

社名は全く聞いたことがないものの、年功序列が当たり前だった当時の国内企業では珍しく、全てがパワーワードでした。
調べてみると、その会社は「ユニクロ」という服のチェーンストアを展開するファーストリテイリングという会社で、私の実家から車で15分の距離にもお店があることを知りました。

正体はわかったものの、全く想像できない「服屋の店長」という募集に恐怖心を抱きつつ、他に選択肢もないため説明会にエントリーすることを決めました。

蜘蛛の糸

説明会に参加してみて、原宿店のオープンやフリースブーム、東証一部への上場など、とても勢いのある会社であることを初めて知りました。
とはいえ、私にとっての関心事は上場やヒット商品などではなく、自身の目的が叶う環境であるか、完全実力主義や半年で店長といったキャッチコピーが本当なのか、でした。

説明会を通して、どうも本当らしいと感じた私はエントリシートを提出し、運良く面接へと駒を進めました。
面接が何回行われたかは覚えていませんが、最終面接は都内の高級ホテルの一室であったことだけ覚えています。

当時の私は、前回の苦い経験を活かせず、面接で同じエピソードを使い続けており、最終面接でもそれを変えることはありませんでした。
悪いことは繰り返すもので、私の話に面接官の表情が一切変わらないまま面接が終わると、なぜか私を含む何人かの学生が別室へと通されました。
真偽は定かではありませんが、入社後に同期の話を聞くかぎり、どうも「判断しにくい微妙な人材」だったようです。

その後、名前を呼ばれて通された部屋では、グループ面接だった最終とは異なり、物腰柔らかな人事部長さんとのマンツーマンの面接が行われました。
漠然とした不安を感じながらも他に選択肢がない私は、ここでもボランティアのエピソードを話してしまい、微妙な表情を浮かべた人事部長さんから、「うーん、その話はもういいので他のエピソードはないのですか?」と言われました。

その瞬間、必死で掴んでいた一本の蜘蛛の糸が切れてしまった気持ちになり、私の頭の中は真っ白になりました。

開き直り

とはいえ、目の前の面接官は私に他の話をしろと求めています。
社会人うけが良さそうな話を他に持っていなかった私は、半ば開き直り、大学生活で経験したもっとも大きな失敗について話すことにしました。

私は学生時代に音楽サークルに入っており、先輩が主催するイベントにたびたび参加していました。
先輩が企画するイベントでは、小さな会場に入りきれないほどお客さんがくることもあり、いつか私もやってみたいと思っていました。

ある日、同じ会場をとても良い条件で使わせてもらえることになり、初めてイベントの企画に挑戦しました。
「お客さんが100人はくると思いますよ!」と根拠のないビッグマウスでオーナーさんに期待を持たせた結果、当日にきてくれたお客さんはわずか20人程度でした。
大した準備もしていないのに周囲の人に期待させ、それを裏切ってしまったことを心底恥ずかしく感じたのを今でも覚えています。

そんな恥ずかしい失敗談を話した私は、この面接で不採用となり、終わりの見えない就職活動に再び突入する自分を想像し、憂鬱な気持ちになっていました。

人事部長さんからは意外な言葉が返ってきました。
「そういう話が聞きたかったんですよ。なぜ最初からそれを話さなかったんですか?」

当時の私にはこの言葉の理解ができませんでしたが、おそらくボランティアの経験が自発的・継続的なものでないことは見抜かれており、自分を大きく・きれいに見せるエピソードよりも、不完全だけど伸びしろのある等身大の私がわかる話を求められたのだと、今の私は解釈しています。

もしかしたら最初の化粧品メーカーの最終面接も、同じ理由で不採用になったのかもしれません。

かくして、無事にファーストリテイリングの内定を頂いた私は、ギリギリのところでなんとか就職活動を終えることができました。

最後に

私の社会人人生は、始まる前からすでにジェットコースターのようでした。

そして、そのジェットコースターは一社目に入社してからも、なんなら二社目に転職してからも止まることなく、高い山と深い谷を猛スピードで暴走し続けることになるとは、この時の私はまったく想像していませんでした。

それらについては、また別に記事に書きたいと思います。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。



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