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からっぽ

育児と出勤を続けて3か月。

メンタルがどうにかなってしまったので休職することになりました。

他人のニーズにこたえようとしすぎる私には無理だったのかもしれない、と今冷静に考えて思う。

最初は、まさか私が。という思いしかなかった。

職場への罪悪感。
働けないことへの不安感。
子供を保育園に送り出す前の、慌ただしい朝が終わってしまうと電池がきれたように体が動かなくなった。やりたいことがあるのに体が動かず、気づいたら数時間たっている、という毎日を送ることになる。

私は、自分でメンタルが強い方だと思っていた。
新卒で入った会社はブラックで人間関係最悪だったけど耐えていたし、そのあと入った会社はパワハラが横行してたけど続けてたし、なんて考えてたけど、状況次第でだれでもなってしまうものなのかもしれない。

最初の異変は、本が読めなくなったこと。

通勤時間を使って、私は本を読みまくっていた。それが日々の癒しだったし、本を読んでいると自分の中の気持ちを文章にしたくなって、電車の中でnoteに投稿する文をせっせとスマホに打ち込んでいた。

それが突然できなくなった。
本を開いて視線をページに落としていても、文章を追うことができない。
なにかnoteに書いてみよう。と思っても何も思い浮かばない。
あ、いま私、空っぽなんだな、と気づいてしまう。

あの時は仕事家事育児をただこなすために感情を殺していたのかもしれない。

それでも、休まなきゃ、とは思っていた。
ただ、そう思えば思うほどうまく休めなくなった。

どんなに早く寝ても、子供の寝言泣き(夜泣きとは違って1,2分放置すれば再び寝入る)に起こされ、それが深夜の1時2時であっても再び眠ることができず、そのまま朝会社へ行く、という日々が続いた。

多忙な部署だったのもあり、子供の体調不良でもよく休んでいたので気が引けて、自分のために休みを取ることができなかった。
思えば働き出してから、土日に一人時間をとることもほぼなく過ごしていた。平日子供を預けているのだから土日くらいは一緒にいてあげたいという気持ちが強く、また、普段忙しくしている夫に気を使ってしまい、なかなか一人時間が欲しいと言えなかった。

今思い返すと、なんだかいろいろ考えすぎてバグっていたんだな、と感じる。

SNSを開くとみんな頑張っているので辛くなり、見るのをやめた。

どうして自分だけ、という考えが脳裏にずっとこびりついて離れない。



でも、これが自分。

とりあえず今は受け入れて、よく頑張った。と認めてあげたい。





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