ラーメン消防士
僕には親友と呼べる友人が2人いる。
そのうちの1人とは、幼稚園からの仲である。
出会いは覚えていないが、近所のみんなが通うところとは違う、街から少し離れた幼稚園に僕らは通っていた。
帰りのバスに乗り込むと、そいつはいつもそのバスで一番見晴らしのいい席に2席分使って寝そべっていて
「席とっといた!席とっといた!」
と真夏の太陽みたいに笑っていた。幼稚園の記憶はあまりないけれど、この笑顔だけは鮮明に覚えている。
遠くの幼稚園に通っていたこともあり、僕らは小学校が別々だった。中学校で再開してからまたグンと距離が近づいて、今でも定期的に連絡を取り合う仲になっている。
そんな彼の家族が幼稚園を卒園し、小学校に上がる前の春休み、
引っ越しをすることになった。
僕は同じ小学校に通えるかもしれないと胸を躍らせたが、同じ街の団地から同じ街の一軒家への引っ越しだった。
僕は母に連れられて、彼の新居へ遊びにいった。
出迎えてくれた彼は、僕が着くやいなや
「手、洗うよね!」
と行って家を案内してくれた。普段わんぱく小僧の代表みたいな男である。小学校時代、町の陸上記録会でダントツ優勝し、某強豪高校野球部のキャプテンを務めた男が、なぜ急に"手を洗う"なんてことを気にしているんだろう。
そう思いながら連れて行かれた先は トイレ だった。
「ほら!」
とトイレの水を流し、また太陽みたいな笑顔を僕に向けてくる彼、
このわんぱく坊主は、トイレで手を洗っているのか!ジャブジャブと!
確かによく見るとトイレが流れていく様子は川のようにも見えてきた・・・
友情をとるか、人間の尊厳をとるか6歳にして究極の選択を迫られた僕に彼は
「こうだよ!」と便座を登っていった。
彼は便器の上についた水道?(水がでる蛇口)で手を洗ったのである。
彼は、団地時代のトイレにはなかった、便座の上に付いている蛇口を紹介したかったのだ。
なるほど。そういうことか・・・(いやそういうことなのか?)
その日彼の新居で何をして遊んだのか、どんな会話をしたのかは全く覚えていないのに、その出来事だけが取り出しやすい記憶の引き出しに大切にしまわれている。
新居に遊びに行ってトイレで手を洗わされた話を僕は何度か彼やみんなの前で話しているが、当の本人はすっかり忘れてしまったようである。
中学の時に僕が提出した修学旅行の短歌をいまだに覚えている男が、なぜこんなに衝撃てきなことを忘れているんだろう。
新居に遊びに行ってから、もう20年以上たった。
僕らは今、その家で酒を飲み交わしている。
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