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ココロ。

「休める休めないではなく、休まないといけないんです。」

昨年11月、ココロを壊した。

5月に転職してからというもの、
どこか会社の冷んやりした空気に違和感を感じつつも、慣れなのだと思い込んでいた。

念願の児童書、念願の版元だったのだ、ここにしがみついて頑張ろうと、そうココロに決めていたんだ。

雑誌というほかの畑にいた私は、書籍編集がなかなか掴めず先輩に質問ぜめをし、必死になった。

「こんなのも分からないんだ」

ココロが冷んやりしたが、辛抱だと思い、すぐにかき消した。ここで挫けている場合ではないのだから。

厳しい体育会系の編集者の雰囲気にはもう慣れていた。こんなの平気だと言い聞かせ、早くこの仕事をものにしたかった。

「ご確認をお願いしたいのですが…この

「今日は無理。ほんと、鈍感」

じゃあ明日にでもと笑顔をつくって返すも、瞬時に自分のココロが氷のようになっいることには気づいていた。

編集者は忙しいなんてそんなのはわかっているし、ココロの余裕こそが人はの優しさだということも分かっていた。

ココロに余裕がある時は優しく世間話をすることもあり、忙しさゆえなのだ。

いろんなことをココロに言い聞かせて自分を保っていたあの頃のわたしは、ココロが冷えるほどそれを隠すように笑顔をつくり、日常での笑い方を忘れていった。

「ずっと思ってたんだけど、大丈夫? あれで何人か辞めてるらしいから、、」

同時期に入った先輩から、ある時突然声をかけられた。

気づけば視界がかすみ、目からつぎつぎと涙が溢れ出てきた。

「ありがとうございます。ちょっと辛いですね…あはは、でも大丈夫ですよ」

偽物の笑顔と本物の涙というチグハグな状態だったが、まだ大丈夫だと思っていたのは本当だった。

「これ今日の17時までにやっておいて」

「明日のシリーズ2冊の校了で手一杯なので、今日明日は難しいです」

「え、こんなのも出来ないわけ? 無責任だと思わない? もういい。」

無責任 無責任


その言葉の重さによって、ガチガチに紡がれていた私の糸がプツンと千切れた。

必ず17時に帰宅していく先輩を横目に、それでも莫大な仕事をかかえて、その日も明け方まで作業に追われた。

校了を終えた次の日の朝、どっと疲れが襲ったのか、体が思うように動かなかった。

頭痛もひどく、吐き気もひどい。
でも、熱はない。不思議な症状だった。

「最近、仕事行きたくないな〜って呟くこと多かったから。休みなさい、多分あなたの限界よ」

そう母に言われて気づいたが、これまで、
40度の熱があっても、どんなに休みがなくて疲れ果ててても、どんなに寝てなくて眠くても、仕事に行きたくないなんて一度も思ったことはなかった。

言ったこともなかった。

「どうしました?」

病院で、そう聞かれた途端に溢れる涙。

「仕事は何をしているの?」

編集者というなり、ああという表情をし、労働時間が異常に多い仕事というだけでも、この症状はもう過労うつと診断できるのだという。

「診断書を書くので、また明後日こられますか?」

仕事なので平日はあまり休めないなと思い、そう答える私に、医者は「もう会社に行ってはいけない」と告げた。

好きだったはずの仕事。

天職だと思っていた仕事。

そうしてずっと憧れていたはずの仕事にようやくつけた私は無理をしすぎていたのかもしれない。

好きだったはずの仕事に
心身ともに蝕まれてしまった。

最近は問題が大きくなり改善している会社も見られるが、
ハードワークによって命を絶つ人がいる。

あまりにも仕事中心の生活を送ってしまっていると、無意識のうちに生きる世界が狭くなっていて、逃げる道がそこしかないかのように感じてしまうのだ。

経験して、その気持ちがものすごくわかった。

でも、一度立ち止まるだけで世界の闇は驚くほど晴れてくれる。

闇が濃くなっていればいるほど、その分晴れるのには時間がかかるからこそ、早めに自分の世界の色を見直して、その状況に気づかなくてはならない。


人生一度きりなら、
明るい世界で長く生きられるほうを選びたい。


3年8ヶ月。
紙の編集者を引退します。



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