やりたいことが叶う自分になった。 ~絵日記学を学んでできるようになったこと⑦~
今日は、注文していた本を受け取ってきた。すでに入荷済みだったのでやっと。注文時点で、「取り扱いがないかもしれない」と言われていたものも無事入荷されて良かった。
計4冊。そして、現在並行して読んでいるものが3冊。加えて、志のために借りているスキルアップのための1冊。全部で8冊、ガシガシ読むぞ~!
私は昔から本を読むことが好きだった。
幼稚園の頃、本棚の前に座り込んで絵本を読み漁っていた記憶がある。
夜寝る前には、当時自力で読むには少し難しかった物語を母に読んでもらっていた。
移動図書館が来る日が楽しみでたまらなかったし、小学校に上がってからは登校してすぐ図書室に行き、前日に借りていた本を返し、また新たに本を借りるということが日課だった。市立図書館にも毎週通っていた。
中学・高校の頃は、親にばれないように部屋の電気は消し、布団の中で懐中電灯の灯りで続きが気になってしょうがない物語をむさぼり読んだ。
大学生になってアルバイトをしてみようと思った時に真っ先にやりたいと思ったのが本屋だった。バイト仲間は得てして本好きが多く、それまで読んだことのないようなジャンルや作家の本も貸してもらい、ますます本を読むことが面白くなった。
だけど、いつしか本を読むことが少なくなった。
いや、本を読んでいたのだけれど、大学の卒論のための資料だったり、社会人になって仕事のために必要だと思うような本だったりになっていき、〝自分が本当に「読みたい」と思う本〟を読むことが減っていったように思う。
〝読まなければいけない〟という義務感でのみ読んでいて、本当に読みたい本、自分を楽しませてくれる本は、なんだか「時間の無駄」になるような気がして読めず、「読みたい」と口では言いながらそれは実現しないままだった。買うことも借りることもなかった。
「積読が多い」と悩む人がいるけれど、あの頃の私は積読すらできなかった。
当時の私は、だから本を読むことが全然面白くなく、好きじゃなかった。
今でもやっているのだけれど、読みたいなと思った本を忘れないように「読みたい本リスト」を作っている。一時期のそのリストに載っていたのは、仕事のためだったり自分を成長させるためだったり理由はいろいろあったけれど、「読んだ方がいいのではないか」「読むべきだ」という考えに引っかかったものばかり。
でも、例えば本屋で実際にその本を見つけても、なんだか手が伸びなかった。まあ、つまり本当は全然「読みたい」と思っていなかったってこと。
そして、「読むべき」だと思っているくせに一向に実行できない自分に落ち込んだりもしていたなあ…。
それが、ここ数年〝自分が本当に「読みたい」と思う本〟を再び読めるようになった。
「読みたい本リスト」には、その名に違わぬ本当に読みたい本が名を連ねるようになり、ずっとリストに残っているものは時々見直して気持ちが薄れていれば一旦リストから削除するようになった。もしまた読みたい気持ちになれば自然と出会うだろうと信じて。
(「読むべき」考に縛られていた時は、読めずにいることだけでもダメなのに、さらにリストから消すなんて自分のできなさを隠すことになりそうで、できなかった。今思えば、本当に変な執着だ…)
そして、読まずに消えていくものと同時に、読んでリストから削除されていく本も増えた。
義務感からではなく「読みたい」という気持ちで本を読むことが自分の中に復活した時期は、絵日記学を学び始めた頃とちょうど重なる。
〝自分が本当はこうしたい〟という気持ちを見つけられるようになる絵日記学のおかげで、本・読書という分野においても、自分が本当したいと思うことがわかるようになったことが大きいのだと思う。
元々好きで慣れ親しんでいた読書という行為だから、何を読みたいのか、本当に読みたいという気持ちさえあれば行動に移すのは容易いことだったのだろう。結果、本や読書が身近にあり、それによって満たされる日常を再び過ごしている。
そして、絵日記学で教えてくれたことを真に理解すると、この世のあらゆることが学びになるので、自己啓発本や学術的な本はもちろん、小説やエッセイ、絵本からも自分にとって必要なことを見つけ吸収することができる。
「世間的に見てこれを読んだ方が人間として成長になるのではないか?」「仕事に役に立つのではないか??」「学びのあるものを読むべきだ」…といった考えで本を選んでいた頃より、断然学びが多く深いのだ。
今回は例として本を読むということを挙げたけれど、それ以外の面でも、確実に自分の実行力が上がっているという確信がある。
それは全て、絵日記を通じて、自分が本当にやりたいことや、なりたい姿がわかってきたから。
タイトルに「やりたいことが叶う自分になった」と記したけれど、叶うということは神様やどこかの誰かが気まぐれで与えてくれるラッキーではなく、〝自分が〟行動した結果だと、私は思う。
「やりたい」と思ったことを思いのまま宙に浮かせておくのではなく、自分の手の中に降ろし、自分で叶う方向に持って行く。
それが実行するということで、実現とかやりたいことが叶うとかはその先に立ち現われてくるのもではないだろうか。
つまり、タイトルをもう少し真実に近づけるとするならば、「やりたいことを叶えられる自分になった」となるのかもしれない。
私は、もっともっと自分の望みをクリアにし、そしてそれを現実のものにしていこうと思う。
私がやりたいことを叶えられるように変わりつつあるのは、大人のための絵日記学のおかげです → http://enikki-gaku.com/
あ、でもちょっとのラッキーもありました!
たくさん本を購入したおかげでクジを引くことができ、なんと1,000円分図書カードが当たりました☆
めったにこういうものに当たらないので、読書の申し子として認定されたのかしら?
また本を読め!というメッセージだと受け取って、次なる「読みたい」を見つけようっと♪
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