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身体性と想像力と感覚と造影剤


きれいな手をしているなと印象に残った。

印象に残るというとき、どの感覚が優位になるのだろう。

香りだったり触った感触だったり温度だったり音だったり味だったり。
どの感覚が突出するかは状況によってかわるだろうし、そもそも自分で感覚を選択しているわけではなく、勝手に発動して記憶にその感覚が刻まれるのが『印象に残る』ってことなのではないかな。
そして、その感覚から呼び起こされた自分の感情。
快・不快、喜び・悲しみ、満足感・焦燥感、達成感や嫉妬。
感覚よりも紐づいた感情の記憶のほうが鮮烈な人もいるだろう。

私の場合は、感情の記憶はかなり薄い。かわりに自分の記憶に画像がくっきり残る。ずっとみな同じだろうと勝手に思いこんでいたが画像バージョンはたくさんの『印象に残る』のなかの一形態で、動画バージョン、モノクロ、音のみ、複合型などいろいろありそう。

きれいな手の持ち主はピアノを弾く男子だ。私は彼がピアノを弾くのを知っていたからこそ、無意識に手を見たんだと思う。よく考えてみると話した内容とまったく関係ないわけでもないがあるわけでもなく、脳が覚えていることというのは、わかるようでわからない。

そのときは、とても楽しい宴の最中でハッピーな空気感の中、和気あいあいと数人で雑談していた。話題にあがったのは身体性について。

つまりは身体性への想像力の強さですね。身体性。「これはフィクションだ」「自分の身に起きていることではない」って知識や理性としてはそうなんですけど映像と叫び声と荒らだった彼らの息や表情みたいなものが痛烈すぎて僕は見れないんですね。自分の右手の小指がちぎれていくような感覚がまさにあって、それはもうどうしようもなく理性の及ぶ範囲ではなく意識が飛ばされていく感触で、そういったことへの想像力というのが自分ではもうどうしようもない。

きれいな手の男子が話す、身体性への想像力の強さ、過敏さ、再現性。
うわー真逆だ、私と全く逆だ!!! インパクトは大きかった。
私は自分の身体をどう動かせば自分の考えたとおりの結果になるかよくわからない。マッサージ屋で体の力を抜いてくださいと言われてもとっさにできない。
体の力を抜く。。。呼吸だ、呼吸に気をつけて、肩をストンってやるんだよ、、、って頭で考えてやるぐらいあたふたする。
もっと言えば、どうやっても体から力が抜けない時期があったぐらいだ。

身体性への想像力に欠けるうえに、痛さや感覚にも疎い。不感症ではないけれど感覚が残りづらいというか。

例えば拷問のシーンをみたり聞いたりした場合、不快、恐怖、見たくない聞きたくないという感情は想起されても、じぶんの身体に拷問されている感覚がすることはない。
小学生のとき、好奇心から自分で手首の血管に針を刺したことがある。
想定ではぷしゅーっと血がでてすぐ止まるはずだった。(あほですね)
実際にやってみると血はほとんど出ず、皮膚の中でけっこうな勢いで広がった。巨大な内出血の完成だった。皮膚の中なので止血もできずなすがまま。どうすんのこれって感じっだったろう。痛さも何も覚えていない。記憶にあるのは広大な内出血の画像のみ。
親友は、指にホチキスするとどうなるんだろう、を実際にやったらしい。
たぶん身体性への想像力が豊かな人はこういうことをやらないんじゃないだろうか。

子どもを育ててみて、初めて気づいたことというのはとても多い。
最近は過剰な音の刺激から自分を守るためにイヤーマフをしているお子さんを見かけるようになった。
日常生活に支障をきたすほどではなくても、過敏なひとは経験から得た自分なりの対策をしていたりする。感覚はひとによってちがうことを意識しておくことはとても大切だと思う。意識しておかないと気づくこともできないから。
子どもというのは、みんな泥遊びや裸足が大好きだと思いこんでいた。
でも足の裏に砂がつく感覚が大嫌いな子、泥のベタベタした感触が大嫌いな子もいる。
砂の感触を嫌だと感じる感覚を理解してあげることはできなくても、嫌だという気持ちに寄り添うことはできる。やらず嫌いや初めてのことにチャレンジする不安なら背中を押してあげることも大事だけれど、感覚的に嫌なことは嫌じゃなくなるまでとりあえず待ってみるのが大事ではなかろうか。
子どもは感覚的に嫌なことが経験や身体の成長とともに上書きされていくことも多い。

実は私も4歳からピアノを習っていた。
ついでにソルフェージュも。先生が弾くピアノを聴くのは大好きでも、自分で弾くことはちっとも上手にできなかった。説明されたことは理解できる、楽譜も読める。でも手は思ったとおりに動かせない。やっても出来ないから練習するのも苦痛になり、練習しないからますます弾けず小2ですでにレッスンをサボるようになった。そして他の習いごとを始めるタイミングでピアノを辞めた。
ピアノを弾く人への憧れは自分の挫折からくる部分もあるけれど、純粋に信じられないのだ、あんなに指が動くことが。
驚きと不思議さと強い尊敬の念がわく。

身体性への想像力にも記憶力にも乏しい私が、最近体験して強烈な印象が残った感覚があった。
CT検査のとき、造影剤を使う場合がある。
造影剤なしで数回CTを撮ってから検査の途中で造影剤が注射される。
看護師さんの説明は「身体が熱くなった感じがします」だった。

........熱くなるとかいうレベルではない。
造影剤が身体の中をどういうふうに広がっていくかわかる感覚だった。
わたしにとっては衝撃的であの感覚をまだ覚えている。
しばらくはやりたくないですが。

感覚のするどい人は造影剤どう感じるのか興味があるけれど、検査を受ける事態にならないのが一番です!!(断言)

#もぐら会 #もぐらのこぼれ話 #エッセイ
#身体性 #子育て



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