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2020/7/2 褒めること


もぐら会のSlackで褒めることについての話題がでていた。
褒められるのはうれしいことだが、なんでもかんでも褒められさえすれば無条件にうれしいわけでもない。
褒めることは、するのもされるのも少し厄介だ。

ちょうど初めての育児に必死なころ、「褒めて育てる」育児論が浸透してきた。育児論は流行りすたりがある。母乳信仰や逆にダイオキシンの影響を考慮した母乳危険論、一人寝を早い時期からさせたほうが良い派と添い寝派、離乳食の開始時期も早い・遅い方が良い、おしゃぶり、胎教、習い事など流行りすたりで、それまで主流だった考え方が逆転することもあって、ありとあらゆる情報に翻弄される。

「褒める」ことも子どもが小さいうちは、素直に子の頑張りを褒め気持ちに寄り添い抱きしめるのも日常的にできるが、子の成長につれてズレが生じだす。親は結果ではなく過程に価値があると信じ子の頑張りを過程をどんなに褒めても、子はそんな褒めより結果を成果を求めているときがある。
小さな成功体験がどんなにおおきく影響するかも知っている。
その気持ちはとてもわかるのだが、親は失敗しても頑張ったことは無駄じゃないと励ましまくる。そりゃウザいだろう。でも親は言わずにいられない。愛情をもって子を信じ黙って見守る難しさよ。。。

わたし自身他者から褒められるのはとても嬉しい。けれど自分が感じていることとズレた点を褒められると、褒められているのに落ち込むことがある。
会社で月に一度1on1で上司と30分面談をするのだが、このとき上司から言われる自分の長所、持ち味、優れている点などが自己認識とあまりに違いすぎて毎回軽く落ち込む。
「あなたが得意なこと」として上司から認識されている点が、実は自分では弱点なことを自覚しているからだ。
会社では会社員としての自分で存在しているので、弱点もうまくカバーしある意味取り繕って生きているのに、そこを長所と言われてしまうともやもやする。

日常生活では、ささいなことでも素敵だな素晴らしいな面白いなあこがれるなと感じる部分は、相手にできるだけ伝えるように心がけている。
これは褒めではなくて感じたことをただ伝えているだけなのだが。

自分でも予想もしない部分を褒められるとものすごく嬉しい。でもとにかく褒められ下手でリアクションができずおろおろしてしまう。ものすごく嬉しかったというのを相手にちゃんと伝えられるようになりたい。

娘には、ことあるごとに「かわいい」といって育ててきたが(本心から超かわいいと思っている親ばか)ある日ある時、とうとう「ママはいつもかわいいっていうけど、○○は世間的にみると別にかわいくない」と言われてしまった。そっか、親のかわいいと友達から言われるかわいいじゃ重さが全然違うもんね。でも世間なんてどうでもいいんだよ。

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