歩いて京都から東京まで行った話 東海道徒歩旅 【後編】
歩いて京都から東京まで旅した話。
今回は【後編】です。
目次
1.旅に出た理由となぜ「歩き」に拘ったのかについて
2.旅の行程
3.旅の装備
4.印象に残った出来事、場所、人
5.ゴールの日本橋で起こった奇跡
6.歩き旅あるある
7.この旅が僕にくれたもの
こちらの目次の4から7の内容になります。
1から3を読みたい方は【前編】のほうをどうぞ!
4.印象に残った出来事、場所、人
京都から東京までの約500キロの旅の中で、数え切れないほど色んな人達に出会いました。
その中でベストな出会いに絞ることなど到底不可能ですが、
あれから6年以上経った今でも覚えていることは、当然それだけ印象に残っていると言えると思いますので、
パッと思い浮かぶエピソードを紹介していきたいと思います。
まずはスタートから2日目。三重県関宿でのことです。
東海道を歩いていくということは、当然昔の宿場町をたどっていくことになるわけですが、
宿場町が賑わっていた当時にタイムスリップしたかのような光景が、関にはありました。
僕はこの関で、東京から関西へ自転車旅で来ている人たちと出会いました。
僕が東京に無事着いたら酒を飲みに行こうと約束をし、
東京に着いてから連絡し、再会し、またお酒を飲むことができました。
5.ゴールの日本橋で起きた奇跡
先述した三重県を訪れたのは3日目なのでまだまだ旅の序盤です。もちろんそこからの約2週間で様々なことがありました。
鈴鹿峠を越える前に足の豆が潰れて足を引きずって歩いていたところを声をかけてくれて、車に乗せて峠を越えてくれた優しいかたがいたこと。(1年後に鈴鹿峠までのみの歩き旅を敢行しリベンジ)
愛知県岡崎市で台風に見舞われ逃げ込んだホテルで、チェックイン時間はまだまだなのにロビーに置いてくださってもてなしてくださったこと。
静岡がとてつもなく長かったこと。
箱根峠の旧道の石畳に感動し、麓との気温差に驚いたこと。
そして行く先々で足を止め、車を止め、声をかけてくれたり、差し入れをして下さった人たち。
今でも感謝しています。
そうして辿り着いた、ゴールの日本橋。
そこには思いがけない奇跡が待っていました。
日本橋を視界に捉え、さあ渡ろうと足を踏み出した時、テレビカメラが目に入りました。
まあ、東京だし、ロケくらいやってるよな。
俺には関係ないや。俺は今からゴールして、今までの長かった道のりに思いを馳せて感動の涙を流すんだ。
そう思い、涙腺にスタンバイの声をかけました。
そしてさっとテレビカメラを横目に、橋を渡り切ろうと思っていたその時、
「ちょっと君、いいかな?何してるの?」
と声をかけられました。
「歩いて京都〜東京」というゼッケンを胸に付け、バックパックには同じことが書かれたのぼりを差して歩いているんだから、目を引くのは当然なんですが、
正直その時は、「なんで俺の感動のゴールを邪魔するんだよ」と思っていました。すいません。
内心はそう思っていましたが当然口には出せず、取材を受け、いくつか受け答えをして、最後に記念撮影をしていただきました。
取材していただいたその番組が、2014年から2015年の2年間BS-TBSで放送されていた、「ひと・まち紀行」という番組です。
日本の鉄道写真家の第一人者と言われ、日本鉄道写真家協会事務局長を務めておられる、中井精也さんにお話を聞いていただき、写真を撮っていただきました。
その写真がこれです。
日本橋に着いてあとは泣くだけだと思っていた僕にはまさに青天の霹靂でした。
失礼ながら中井さんが鉄道写真界で凄い方だということは後で知ることになりました。(撮り鉄の友人には歩いて東京まで行ったことより中井さんに写真を撮ってもらったことに驚かれました)
無事オンエアでも使っていただき、応援してくださった全ての方にも公共の電波を通してゴールの証を見せることができました。
3年前に亡くなった祖父も、親戚中、近所中に自慢していたそうで、葬儀では知らない方からも
「あの歩いてた子だよね?」と声をかけられ、恥ずかしくも誇らしい気持ちになりました。
もちろん仕込みでもなんでもなく、たまたま僕が日本橋に到着したときにロケをやっていた、これこそ奇跡の出会いでした。
6.歩き旅あるある
歩き旅なんてそうそう誰もがするもんじゃないとは思いますが、ここで歩き旅にまつわるあるあるを。
①テーピングが一人で上手に巻けるようになる
②野宿に慣れる
③文明(主に車と電車)の力に改めて感謝する
④「昔の人は偉かった」を実体験で感じる
⑤豆がはぜる→固まるのサイクルに慣れる
⑥キロ数を聞けば歩いて何時間で着くか瞬時に計算できるようになる
⑦敢えて道路の右側を歩いて向かってくる車と正対することで、
車に乗っている人の目に留まるようにして、驚いた顔を楽しむ、という遊びをする
⑧しんどい時は音楽を聞いてドーピングする
⑨都会では不審者扱い、田舎ではもてなされる
⑩峠や山ではチャリンコ勢より楽だと感じる
以上です(笑)
歩き旅経験者には共感してもらえると思います。
7.この旅が僕にくれたもの
長くなりましたが、最後に締めくくりを。
この旅を通して僕が得たものは、
「誰にも求められてなくても挑戦することの尊さ」です。
正直、歩いて京都から東京まで行くなんて、そこに意味は無いし、僕は自分探しをしに行ったわけでもありません。言ってしまえば無駄なことです。
けれど、僕は、中学で不登校だったり、大好きで本気でプロを目指すと公言していたサッカーを中途半端な形で辞めたり、もっと上を目指せたはずと思いつつ実力の範囲内の大学しか受けなかったりと、
旅以前の人生では、自分の限界を超えることはしてきませんでした。
けれど、この旅を通して、なんだっていいから、誰に感謝されずとも、誰に用意されたわけでも、頼まれたわけでもなく、自分で目標を設定して、それに向かって挑戦し、達成する。
当たり前のようで、言葉にすれば簡単だけど、
実行して体感するのは難しいことの典型例を、
僕は身をもって経験できたんだと思います。
この7年前の夏の旅は、僕にそう言った
「挑戦者のマインド」を授けてくれました。
それは今でも、自分のポテンシャルや能力の少し上を攻める生き方に結びついていると思います。
学校を作って日本の教育を変え、社会を変え、生きづらさを抱える人を無くす、なんて、
まさしく歩き旅と同じく「誰にも頼まれていない目標」なので。
長くなりましたが今回は以上です。
また次回からは、僕の目標、夢について話していきたいと思いますので、
よかったら読んでください。
ご拝読ありがとうございました。
小野トロ
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