ひとりのお盆


かっこいい、素敵なタイトルにしようと思っても、何にも思い浮かばず、そのままになってしまった…(笑) わたしのことを、少しずつ、つらつらと書いていくので、もしよかったら、お時間ある方お付き合い頂けると嬉しいです。

タイトル通り、私は今年もひとりのお盆を過ごしました。帰省するわけでもなく、部屋にひとり。
まあ、いろいろと理由はあり、話しだすとまあ〜〜〜長くなるので、割愛しますね。ただ、今まで誰にも話してこなかったことを、ここに書き残そうと思います。話そうとしなかったし、話す相手もいないし、ただ日記のように紙にペンで書けば良いのだけど、誰かに聞いて欲しかったんだよね、きっと。共感は求めてないけど、ただ聞いて欲しいというか。わたしのことはわたしにしか分からないから、余計なことはいいですよ、というか。書いてて思ったわ、なんてワガママな人間、自分勝手。(笑)すみません、あと少しお付き合いください。

最初のnoteにも書きましたが、わたしは自分の家族がコンプレックスです。まあ、それについては今後話そうか、どうしようか、まだ未定なんだけど…きっと、もともと持っていたものがあったんだけど、大人になるにつれて明確なものになっていって、自分で自覚して、それから、また自分自身で大きくしてしまった、というか。なんだか、そんな感じなんですが…ニュアンスばかりで伝わりにくいですね、すみません。

今までのこのコロナ禍では、職業的にもあまり、というか絶対に遠出ができなくて、誰とも会えない状況で(自分で書いてて引いてる)一人暮らししてる身としては、家と職場の往復のみ。生きる上で必要なことのみ。それ以外はだめ!みたいな環境で過ごしていました。それも関係しているのかもしれないし、今の自分の体調もあるかもしれないけど、人混みの中にいる事が出来なくなりました。

というか、まあ、人混みの中にいることが苦手になりました。前回書いたaikoライブの時のように。大勢の中にいると、居ても立っても居られなくなって、逃げ出したくなるし、気持ち悪くなる。それを認識したのは今年の春頃なんだけど。仕事を辞めて色んな、好きなところに行ける!と思って嬉しかったのに、いざ、今まで好きだと思ってた場所に行ったら、気持ち悪くなって滞在できない。すぐに撤退しなきゃいけない状況になる。それが、凄く悲しかった。今は、どのくらいの規模で、とか、時間とかをみて、自分なりにペースを合わせたり作っているところ。やっぱり、好きなものは好きだから。これからも、ライブには行きたいし、色んなところへ遊びに行きたい、から、少しずつ慣れていって、思い出したいな。

何がだめなのか、自分に合わないのか、を考えた時に、身動きが取れないとか、自分のスペースが確保できない、という状況だと無理っぽい。あとは、単純に大きい場所だと、やっぱり精神的にくるものはある。この数年で感じたことだけど、気にもしなくていいこと、情報をわたしは常にセンサーを立てて感じ取っていて、頭の中で考えてる。やらなくていいのに、気にしなくていいのに、やってしまうのよね。やめたいんだけど、やめられない…自分が苦しいだけなのに、もう癖みたいになってるから、常にそうなってる。遊んでる時も、仕事のときも、買い物してる時も。でも、そういう風に自分のことを分析して、どうにか対策を取ろうとしてるのは、今後の第一歩なのかなって思ってる。いざとなった時の対処法とか、自分のお守りとか、実際に目を瞑ったりとかすると、情報は少なくなるしね。これからも、きっとあるんだろうけど、乗り越えていかなくちゃいけないことなんだろうな。

お盆に帰省するのも、少し考えた。日帰りでもいいかなって思ったし。けど、今のこのわたしの状態とかを考えると、きっと親戚の集まりにいっても、実家にいたとしても、常にずっと何かしらの情報をキャッチして頭の中で考えちゃうから、疲れちゃうしきっと気持ち悪くなっちゃうし、話せなくなっちゃう。意味ないなって、何のためにも、誰のためにもならないなって思って、今年もひとりで過ごしたよ。ただ、ひとりで居すぎても暇だし、こんな風に思うことはたくさんあって、でも聞いてもらうことはできないしで、本当にワガママな人間だと思ってる(笑)だから、ここに書いて誰かに聞いて欲しいなって思ってるんだろうな。

今まで同じ職種を続けてきたんだけど、ずっとこの9年間、自分の気持ちを押し殺して言わないことに徹してきたような気がする。というか、そう教えられた気がする。社会って、仕事ってそうじゃないですか。意見が通ることの方が珍しいし、切り離して考えていかなきゃいけないんだけど、それが、まあ下手くそだった。違うと思ったら違うと言うし、意見があったら申し出たいし、でも、それを押し通したいわけじゃない。それを踏まえて、みんなで話し合いたいのに、やっぱり出る杭は打たれる。意見を聞いてるようでお前の気持ちなんか知らねえ、と言わんばかりな対応をされ、絶対服従が勝つ。私なんていらねえじゃん、なら聞くなよ、仕事なんか任せるなー!!!!と思いながらも仕事をやる。そりゃあね。言われるまま動いてくれる人がいると、会社は助かりますもんね。

そんなこんなで、自分の気持ちを話さないようになった。誰にも。仕事の人にも家族にも。結局は否定されて終わると分かっているなら、最初から話さないわよ。そうすると、今度は喜怒哀楽が分からないようになってきて。嬉しいのか、泣きたいのか、怒ってるのか…正しい感情が分からなくなって、どうしたらいいのか困ってしまうようになったりした。

でも、これからは、結局ひとりで生きていくことになる。ひとりで、解決できるように、何でもできるように、自分を自分で支えられるような人間にならないと、と思っていたら、うつ状態になったんですけどね…

ただ、仕事を辞めて服用も続けてきたら、状態は良くなってきて、感情が、喜怒哀楽が出るようになって。嬉しい反面、まだうまくコントロールできない感じがあって、感情的になると止まれないから、制御できないのよ。特に、やっぱり家族のことや仕事のことになると。だから、対話するのはまだ避けたいし(不用意に相手を傷付けたりしたくないし)しょうがないタイミングは出てくるんだけど、それでも、直接話すよりメールしたり、こうして文面で気持ちを伝えられるようにしてから、会って話したい気持ちがあって。

だから、家族に会うのは緊張するし、直接話すとなると動悸がすごくて。まだまだ、昔のようにはなれない、というか、なる必要もあるんだろうかって感じだけど、でも、目標は日帰りでも帰省することかな。やっと、というか、久しぶりに会いたい気持ちとか、寂しい気持ちも認識できるようになってきて、嬉しい反面、頼りすぎたくはないし、ひとりで生き抜いていく力はつけたい。母親の寂しそうな顔が、表情が思い浮かんで。でも、それを癒して守って支えてくれる人が、きっと他にいるから、わたしだけじゃない、から大丈夫、と思ってこれからも、少しずつ、生活を取り戻していけたらいいなって思ってる。

きっと、特に今日の内容は、私が頭の中を整理したくて、誰かに話したくて書いたから、支離滅裂めちゃくちゃ読みにくいかなって思ったけど、書けてよかったな。年末…雪大変だけど、日帰りでも帰れたらな。その前に、土日使ってでも。そこまで気持ちが戻ってこれたことが嬉しいし、前に進んでるってことだよねって思って、明日からも生きていきます。

ここまで読んでくれた方がいたなら、本当にありがとうございます。嬉しいです。明日からもなんとなくで、生きていきましょう。

今度は、またライブに行った話か好きなものの話をしたいな。またこんな話になるかもしれないけど…でも、こうやってつらつらと文章を書く時間が必要だったんだなって思ってる。わたしの気持ちを吐露する場所が必要だったんだなって。ありがたいな。いつか、ちゃんと話せる日が来たら、それはそれで嬉しいのかな、と思ったり。

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