マガジンのカバー画像

Mo Chan

35
不思議なご縁により、会津の古代史を探る旅が始まりました。 堅苦しくない、自由な発想で、書き進めます。
運営しているクリエイター

#古代史

【柳津の土偶状装飾付き縄文土器】

■向かい合う人型の装飾■ 今年の一月、福島県柳津町の「やないづ縄文館」で保管していた土器…

Mo Chan
1年前
33

伊佐須美神社の双身歓喜天

父の実家は大沼郡高田町(現・会津美里町)にあった。 お盆に帰省すると、決まって近くの伊佐…

Mo Chan
2年前
49

『喜多方・熊野神社と高麗橋』

11月の中旬、喜多方の新宮熊野神社(慶徳町新宮)は、ご神木の大イチョウが見事に色づいていた…

Mo Chan
2年前
48

【水でつながる会津の古代史】

民謡「会津磐梯山」には、「恋の滝川 舟石越えて 親は諸白(もろはく)(エーマタ)子は清水(…

Mo Chan
3年前
66

【磐梯山信仰と大伴修験のルーツ】

2年前の春、車を飛ばして、北陸から新潟へ日本海沿岸を巡り、阿賀野川沿いに会津盆地に入ると…

Mo Chan
3年前
48

【十一面観音と会津の古代仏教】

今年のゴールデンウイークこそは、会津の旅を楽しみにしていたが、どうにもコロナが収まらない…

Mo Chan
3年前
58

【虚空蔵菩薩から古代会津を考える】

今年は丑年。年男となった私の守り本尊は「虚空蔵(こくうぞう)菩薩(ぼさつ)」である。 子供の頃、会津高田町(今の美里町)の祖父に連れられ、柳津の圓蔵寺へお参りした。 暗いお堂で、頭がよくなりますようにと虚空蔵菩薩に手を合わせ、撫で牛の頭もなでた思い出がある。今年もお参りしたいところだが、なかなか叶わない。 圓蔵寺に伝わる「一三参り」は、明治末期まで会津一円で広く行われていた。お寺の案内書には、「一三歳になった子供は新調した衣装を着て親と共に、陰暦三月一三日(現在の四月一三日

【鬼渡神社と山の民の足跡】

昨年末、会津好きの面々で忘年会をした。場所は都内にある、三島町産会津地鶏専門店。お任せで…

Mo Chan
3年前
54

会津の成り立ちと移入文化

◇11月初めの連休に会津若松に行った。 流行病のせいでしばらくのあいだ遠出ができず、ちょう…

Mo Chan
3年前
29

【舟形木棺の意味するもの】

                      ◇古墳時代の代表格といえば、前方後円墳だ。上…

Mo Chan
4年前
23

「青」の地名が伝える会津の古代史

■4世紀ごろの会津盆地には、強大な豪族が3グループほど存在した。 その遺跡は、東南部の「一…

Mo Chan
4年前
34

猪苗代湖畔に鎮座する製鉄の神々②

■「石動木(いするぎ)」の地名が示す歴史 東田面の金砂神社は、旧名称は「金沢神社」で、石…

Mo Chan
4年前
48

猪苗代湖畔に鎮座する製鉄の神々①

■津軽、出雲、加賀の製鉄集団が古代会津へ 猪苗代湖の西岸、湊(みなと)町の遺跡からは驚くほ…

Mo Chan
4年前
39

日本海を渡り会津に移り住んだ人々③

■丸木舟からゴンドラ型の準構造船へ 古代の交易を支えるのは船だ。 縄文時代の船は、石器を使用して製造した単材の丸木舟や筏(いかだ)だった。 弥生時代も、初めは丸木舟が主流だったが、やがて製造に鉄器を使用した、準構造船(ゴンドラ型など)も造られるようになった。 古墳時代の大型の丸木舟には、クスノキの使用例が目立つという。 先述のタブノキは、クスノキの一種でイヌグスともいう。 耐陰性、耐潮性、耐風性に優れ、海岸近くの防風・防潮樹に適しているが、霊が宿る木とされ、古代では信仰の