見出し画像

GRⅢxと密着感。

驚くほど小さくて、はやくて、よく写る。そんなコンパクトデジタルカメラ「GRⅢx」を購入して1ヶ月経ちました。

思い返せば、かねてよりほしいと思っていたカメラたちを手に入れるに至った1年でした。悩みに悩んで渋々諦めたカメラはいずれ手中に収めることとなる。この世の理のようです。

最強のスナップシューターと謳われるGR。そのGRに換算40㎜のモデルGRⅢxが出ると知った時から心は傾いていました。けど、自分には不要と思えていた(もとい言い聞かせることができていた)ので一年以上見送り続ける結果となっていました。

だってこのカメラ、普通に高価です。あと「スナップシューター」が自分に必要か?と問うた時に「そこまででもないかあ」と思っていました。そのふたつの要素がストッパーとなって「あったらいいけど、なくてもいい」に思い留まることができていたのです。

きっかけはひさしぶりに参列する結婚式でした。着物を着る予定だったのであまり動き回れないこと、X-pro2で撮る際に集中しすぎると周囲に気を配れなくなることを懸念していました。そこに「もしかしてGRがあるとスムーズなのでは…?」と思い立ち、思い始めたら最後、あらゆるブログや作例などに目を通し翌日にはマップカメラの注文ボタンを押していました。この1年の抗いはどこに消えたのか。結婚式をきっかけと記しましたが、買うための言い訳であることは明らかです。

さて、迎え入れて1か月経過した現在の主観ですが、写真が生活に無理なくぴたりと密着してくれるなぁと思います。写真を撮ること全般に対するストレスレスさが、いつのまにか自ら設けていた「写真を撮ることに対する敷居」を限りなくゼロにしてくれます。写真を撮る際のすべてのテンポを小気味良く調えてくれる感じです。

また、「写真を撮るテンポを調える」ということは「写真を撮ることとその場を過ごすことのバランスを取る」ということでもあります。

写真を撮ることに過度に集中しない。力みなく写真を撮ることができるし、その場を過ごす際のウェイトが写真ばかりになりすぎません。それが今のわたしにとって程良く、またとても必要なことであったように思います。

考えて悩んで迷って諦めてけどまた悩んで、いろんなことに折り合いをつけて購入する決断ができた時。そのカメラを迎え入れる準備ができたということだと思います。あまりにも前向きで都合のいい捉え方ではあります。けど、1年前の自分には必要ではなかったはずのカメラが、今のわたしにとって必要であること。それはこの1年で自身に起きた変化によるもので、それも含めてこの1ヶ月感じ取ることができました。

手に入れることも、手に入れないことも。その確かな積み重ねを見逃さず怠らずに生きていきたいと思うこと。そうすれば「こういうことだったのか」と思える日がいつかくる。そう考えることは今を生きるわたしたちの特権だと思います。

来年はGRⅢxと、写真と、もっと仲良くなれますように。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?