kusa mochi

日々を撮り留めています。

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  • 日々のさえずり

    さえずりのような、ひとりごと日記です。

  • おいしい生き方

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日々、波を撮っている。

「何を撮っているの?」 「趣味はカメラで写真を撮ることです」と言うと、大抵この質問がやってくる。この質問がきた場合、ほとんどの質問者はカメラにも写真にも興味がない。興味がある場合は使用カメラやそれに付随する詳細なことへの質問が飛んでくることが多いし、なんとなく質問の間が違うからすぐにわかる。 つまり、この「何を撮っているの?」という質問に意味はほとんどない。意味はない。わかってはいても毎回「ええと、」と詰まってしまう自分がいる。ええと、わたしは、何を撮っているんだっけ、と

    • 日々のさえずり 8

      朝起きて、部屋に差し込む自然光の中で写真を撮っているとMPが回復する。 昨日のうちに買っておいた季節の果物や、朝食のトーストとコーヒー。夜と同じ空間とは思えないほど部屋中がきらめく。 けど、ここ1年くらいそういう時間をあまりとれなくなった。感染症流行初期はたっぷりあった時間も、数年経った今は仕事や用事などあれこれ予定があってそうはいかない。特に果物たちは食べることと調理することを生活上で計画すると「買ってきてすぐに仕込まなきゃ」みたいなことが本当に増えた。 それでも撮りたいと

      • 日々のさえずり 7

        偶然二週続けて週末に金沢の街中へ出掛けた。どちらの日も快晴で、冬の北陸とは思えない。 烏の影に惹かれて。 茶室小雨さんにて、東京の風を感じる。 109という青春。 記憶にある範囲で、タレルの部屋で月をみたのははじめてだと思う。たぶん。 街中で日が暮れる様子を見ること、が普段ほとんどないのでうれしくなってしまう。  夕暮れに春の気配。

        • 日々のさえずり 6

          朝、いつのまにか明るくなっている。 つい一か月前は真っ暗だった時間、今ではそこそこの高さまで陽が昇っている。そうか、もう立春も過ぎているし、冬は遠のいていくばかりなのか、ということに気付く。冬がけっこう好きなのと、春に向かうこれからが苦手なのでほのかに苦しい。 出汁をとることがたのしくて仕方ない。カメラをはじめた時に近い何かを感じる。目の前の世界がこれまで見えていたものとは違う別の何かに塗り替えられるように、料理という行為すべてが新鮮でたのしい。大量のおでんを仕込むことも、

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          13本

        記事

          日々のさえずり5

          昨晩、はじめておでんをつくった。 わたしはおでんがあまりすきではない。正確に言うと(実家で食べる)おでんがあまりすきではない。薄くぼんやりした味で、それをおかずにご飯を食べろと言われることが昔からものすごく苦痛だった。しかも一度にたくさんつくるから、2日間その苦痛が続く。そのせいでおでんに対するイメージが悪くなり、進んでおでんを食べることがないまま大人になった。社会人になった頃、はじめて静岡おでんを振る舞っていただいたことがあり、こんなにおいしいおでんがこの世にあるなんて!と

          日々のさえずり5

          日々のさえずり4

          12月に入ったころ我が家ではじまった「湯豆腐ブーム」。ちょっといい昆布が半額で売っていたことが発端だった。水をはった鍋に昆布を入れて半日程度おき、そこに豆腐とほうれん草などを入れて加熱。それだけ。食べる際にポン酢をかけてもおいしいのだけど、個人的には塩少々だけでいただくと食材の旨味が引き立つのでとても好み。 これまで出汁をとるという行為をしたことがなかった。面倒そうだし、違いがわかる自信もないし、費用だってかさみそう。めんつゆや白だしで十分。そう思いこんでいたので、昆布だけ

          日々のさえずり4

          日々のさえずり3

          ここ数年海の写真をよく撮っている。ちょっと遠いけど程よい運動と思えばちょうどよく住まいから歩いて行ける距離で、その場所で過ごす時間が日々を生きる心の拠り所でもあった。 2024年の元日も当初の天気予報に比べて晴れていたので、日が沈む前に海へ行こうかと話していた。昼過ぎに彼がうつらうつらと眠ってしまい、一人で行くことも考えたのだけど思い留まって録画していた『響け!ユーフォニアム』を観ていた。観終えてぼんやりしていた頃合いでゆらゆらと部屋が揺れた。彼は起きない。わたしは念のため

          日々のさえずり3

          2023年と12枚の写真

          年の瀬、みなさんの「今年の月々の一枚」をまとめた投稿を見る時間が好きです。その人その人の過ごした一年という時間がぎゅっと凝縮されているようで、最後まで見ると必ず心がじんわりする。わたしもまとめてみたかったのですが、優柔不断な自分には到底できないなとここ数年諦め続けていました。 だったのですが、今年はなんだかできる気がして、セレクトしはじめたのですがいざ選ぶとなると「一枚だけ、なんて無謀では・・・?」と絶望しました。これもいいな、あ、こっちもすき、なんて月によっては10枚以上

          2023年と12枚の写真

          日々のさえずり2

          「写真でさ、“映え”はすきじゃないけど、ある種のわかりやすさは必要なんだなと思って」と、彼が言った。ここ最近自身が撮影した写真を現像していて思うことがあったらしい。昨今の“映え”はあくまで定型文やひな形みたいなもので、だから結果としてわかりやすいけど、そうではないわかりやすさというのは伝えるための誠意に近いと思う。もちろんだけど「わかる人にだけわかってもらえればいい」と思うことが誠意がなくて悪いというわけではない。そういう気持ちでいることも結構あるし、それで十分な写真もたくさ

          日々のさえずり2

          GRⅢxと2023年。

          「いいカメラですね」と声をかけられると、わたしは「ふふ」と笑うことしかできない。 たとえば喫茶店などで写真を撮ってもいいですかと確認したあと、コミュニケーションの一環としてお店の方から言われることがある。本当によくある。そして毎回わたしは「ふふ」と笑う。 なんだけど、手持ちのカメラがGRⅢxだけの時、それがほとんどなくなる。 ちいさくてシンプルなつくりだから、そこまで目を引かないのかもしれない。その事実がわたしにとってあまりにも心地よく、この1年の間に何度も救われた。 た

          GRⅢxと2023年。

          日々のさえずり

          いよいよ、寒くなってきた。 暖房をつけずに夜を過ごしているとスマートフォンを持つ指先がおそろしく冷える。お風呂に入るため着衣を剥ぐのに、随分と決意がいる。 朝、外に出ると冬のにおいがする。湿度をたっぷり含んだ北陸らしい冬のにおいが、慌ただしい朝の時間ほんのひと時過去に引き戻してくれる。 そして珈琲を淹れるとたくさんの湯気がやってくるようになった。いよいよ、冬。 そういえば、彼は今年の1月中頃から「今年の年末年始はどう過ごそうか」と言っていた。ふざけてではなくて、本気の顔で、

          日々のさえずり

          小旅行(Tateyama)

          まだ暗いうちに出発する。旅行でも、仕事であっても、その行為自体が好きです。今回は富山の立山、室堂周辺を散策したことについてです。 その予定が決まったのは三日前のことでした。 「今の立山こんな感じらしいよ」と見せられた写真は、一面の銀世界。わくわくすると同時にわたしは頭を抱えました。普段から登山をするわけではないので、行くのであれば買わなければならないものがそれなりにある気がしたのです。けど、わくわくしてしまった事実からは逃れられず、立山行きを決めてしまいました。 それから

          小旅行(Tateyama)

          リハビリ日記

          すこし長い文章が書けなくなって半年近く経つ。 書いてみるものの断念しては下書きに押し込み、そうやってできた10を超える下書きたちを眺めて、これはもうテーマ立てして文章を書くことは無理だ!と判断し、ただの日記を書くことにした。 ただの日記、とまるで簡単なことのように書いたけど、そんなこともなくて、度々手が止まってしまう。言葉が詰まる。思考するための脳の余白みたいなところがすごく狭まっているのを感じる。わたしの気持ちはどこにいったのだろう。あったはずの、あるはずのものが見当たら

          リハビリ日記

          継ぎ目をあつめる

          祖母の家にはちいさい庭がいくつかあって、あちこちに花が植わっている。彼女が施設へ入居してからもう4年近く経ち、誰もお世話らしいお世話はしていないのに季節がくると毎年きちんと咲く。その花のうちのひとつが水仙で、春先めがけて3~5種類ほどの水仙がそこかしこに現れる。水仙という花をこれまでじっくり見たことがなかったのだけど、よくよく見ると花弁と副花冠(まんなかの筒状部分)どちらも白い子がいて、あまりにもかわいらしくて一部持ち帰ることにした。 包むための何かを求めて、母と二人で祖母

          継ぎ目をあつめる

          見えない手に舵を渡す

          月曜日、「19時-21時」の荷物受取りのために無理を押してはやめに帰ってきた。夕食をすませいつもの配達員さんから荷物を受け取る。気付けばあたたかくないこたつで目が覚めた。 午前1時、明るい居室で絶望する。ほとんど気絶だ、これは。そしてまだ週の始まりであることが絶望を上塗りする。 この事実から立ち直るまでには時間がかかる。結局、2時間ほどよこたわったままスマートフォンを眺めていた。3時を回ったところで、どうせスマートフォンを眺めるなら熱いお湯に浸かりながらのほうが余程ましだ

          見えない手に舵を渡す

          「写真を撮る」を信じる

          撮った写真と向き合う際に「うまく撮れた」と思うことがここ数年でなくなった。カメラをはじめてすぐの頃は右も左もわからぬままふわふわ撮り、自身の意図と写真がすこしずつ連動しはじめるあたりで「うまく撮れた!」と思うことがたまにあったのだけど、それがない。その理由としては「できることとできないことを理解した」だけで、加えて新しい技術を学ぼうとしていないからだと思われる。 そして、写真を見ている時に思うこととして増えたのが「なんかすきだなあ」とか「以前撮ったなんらかの写真に近い気がす

          「写真を撮る」を信じる