日々のさえずり4
12月に入ったころ我が家ではじまった「湯豆腐ブーム」。ちょっといい昆布が半額で売っていたことが発端だった。水をはった鍋に昆布を入れて半日程度おき、そこに豆腐とほうれん草などを入れて加熱。それだけ。食べる際にポン酢をかけてもおいしいのだけど、個人的には塩少々だけでいただくと食材の旨味が引き立つのでとても好み。
これまで出汁をとるという行為をしたことがなかった。面倒そうだし、違いがわかる自信もないし、費用だってかさみそう。めんつゆや白だしで十分。そう思いこんでいたので、昆布だけでこんなに違いがあるとわかることはうれしい誤算だった。
年越しそばを買う、ということが彼は好きで、2023年の年末も一緒に売り場でそばを選んだ。今年はつゆ付きのそば以外をいつのまにか選んでいて、まぁ、家にめんつゆとかあるし大丈夫だよねと言い合いながら買い物を終えた。
大晦日の夕方、そばつゆを準備しておこうかと台所に立った瞬間「あれ、もしかして出汁から自分でとれたりする・・・?」とほのかにピーンときてしまった。最近ずっと使っている昆布に、心もとないけどお好み焼きにかけるようなかつお節も一応ある。この時まで気付かなかったことが嘘みたいに、出汁をとることをすうっと始めた。クックパッドを頼りつつ完成したそばつゆは、なんだかよくわからないけどおいしくて、すぐに同じだけつくって翌日のお雑煮にも大活躍した。
地震で避難したのち一晩明けて帰ってきて、わたしは出汁をとっていた。別に生活のルーティンでもなんでもないのにかつお節のいい香りやふつふつと踊る様が、敏感になった五感や一晩の間に尖った心を撫でてくれているようだった。
登山ができる人や体力がある人を見ると「生きる力が違う」と思う。体力のない自分への戒めも多分にあるのだけど、大きくは羨望によって発せられる言葉だ。
帰宅後早々シャワーを浴び終えすぐさま出汁をとりはじめるわたしの隣で様子を見ていた彼は「こういうときにさ、『出汁をとる』という日常を過ごそうとするそれも『生きる力』な気がする」と言った。
今の自分を形作る、ゆるやかに確実に地続きにある過去の自分たちに救われている。と、朝の光と湯気に包まれながら思った。
年越しそばの余りと、おもち用におろしてあった大根おろしで食べた温かいおそばはきっと忘れない味のひとつ。
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