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06.手術前日の訪問者

院内探検と言っても、さほど行く場所もない。まずはナースステーションの一角に立ち寄り、教わった通りにシャワーの予約をする。一人30分、空いていれば好きな時間に使える。
その後はラウンジへ行ってみる。面会禁止なので入院している患者さんがちらほらいるだけだ。水とお湯、ほうじ茶(冷・温)が自由に飲める。選ぶボタンが5つ以上あるのだから、もっと種類があったらいいのになぁ、と贅沢なことを思ったり、思わなかったり。(いや、すごく思った。)
ラウンジのあとはコンビニだ。病棟とは別の階にあるので、エレベーターで移動する。病衣で外来と交わる場所に行くのはこれが初めて。ちょっぴり緊張したが、誰も気にしやしない。ほっとしたような、残念なような…。コンビニは小さいので、ウロウロするにも限界がある。水とおやつをいくつか購入して病棟へ戻った。
部屋へ帰る前に、自販機横のテレビカードを購入する。テレビはさほど見る気はないのだが、これがないと冷蔵庫が使えないのである。1枚1,000円で、2枚購入した。
 
部屋へ戻ると、机の上にさっきサインした書類の控えが乗っていた。それをしまってから、テレビカードを入れて、冷蔵庫のスイッチをオンにする。買ってきた水やおやつをしまうと、それ以上やることがなくなった。本を読もうか、スマホをいじろうか。
その日は結局、なんやかや過ぎていった。病院食もシャワーもイヤホンでのテレビも夕食後の静かな病棟も、すべてが初めてなおかげで、いちいち新鮮な気持ちになれたからだろうと思う。同室のおばあちゃんから発せられる大きめのいびきに辟易しながら眠った。
 
◇ ◇ ◇
 
翌日。この日は午前中に歯医者さんに行く以外に何の予定もない。つまり、元気なのに病院に入る日だ。やること全然なくて暇だなぁと思っていたが、午後は想像していたより忙しい。なぜならば、次から次へと訪問者があるからだった。
 
まず、手術室の看護師さんが来てくれる。明日の手術についての説明やら、手術室についての説明やら、麻酔についての説明やら…とにかくたくさん説明してくれる。人生初手術、わからないことしかないので、何が怖いのかもわからない。へらへらと看護師さんの話を聞いていると、話は手術室で流す音楽の話になった。どこかで聞いたことのあった、“手術室に流す音楽を選べる”というのが都市伝説ではないと知り、内心「わぁー本当に選べるんだー」と感動したものの、特に希望はない。だって、ミュージカルソングとかないし。どうしようか悩んで、クラシックにしてもらった。(詳しくないけれどクラシック音楽は大好き。)どうせすぐ麻酔で寝てしまうし、なんでもいいのだ。
看護師さんの説明の最後は、麻酔の点滴の話だった。手の甲に針を刺すのだが、皮膚も薄いしそこそこ痛いらしい。そこで、痛みを抑えるための痛み止めクリームみたいなものがあって、希望すれば塗ってもらえるそうだ。ただし、無料ではない。痛がり怖がりのわたしとしては、どうしても塗りたい…恐る恐るいくらか聞くと、自己負担で数十円か数百円だった。
 
塗ります!塗ります!絶対塗ります!
 
手術室の看護師さんの話は、手の甲の血管を確認して印をつけるところで終了。また明日、といって看護師さんは部屋を出て行った。
 
次に来てくれたのは、言語聴覚士のSさんである。
わたしが言語聴覚士という仕事を知ったのはわりと最近。医療関連の職種としては幾分なじみが薄いのではないだろうか。Sさんは「言語聴覚士」の部分をゆっくりと発音しながら自己紹介してくれた。
Sさんが話してくれたのは、手術によってどんなことが起こりえるかということだったのだが、これがもう、最悪だった。Sさんが言うには、「活舌が悪くなる」し「食べにくくもなる」というのだ。ここまで、食べるも喋るも、生活に不自由がないくらいまで回復するだろうという話しか聞いてこなかったのに。
Sさんに、仕事で喋ることを必要とするか尋ねられ、取材に行くことがあるという話をすると、ひどく悲しそうな顔をして、「対面ならまだどうにかなるかもしれないけれど、電話だと難しいかもしれない」と言った。がっかりとしていると、「食べるの好き?」とも尋ねる。好きだと答えるとまた悲しい顔をして、「今より食べたり飲んだりがしにくくなるかもしれない」と言う。なんなの。なんなの、なんなの!
わたしのところに来てから、Sさんはイヤなことしか言わない。最後に、一緒に頑張りましょうと言ってくれたけれど、悲しくなることばかりを告げられたわたしにはちっとも響かず、とにかくとっぷりと悲しみに暮れてしまった。
今ならわかる。Sさんはあえて、最悪の場合を話してくれたのだと。もし、万が一、良くない方向に転んでしまった場合のために、どんなことが起こりえるのか教えてくれたのだ。先生も看護師さんも、みんなリスクとしてさらっと話すだけで、じっくりとは話さない。しっかりと目を見てそんなことを話してくれたのは、Sさんだけだった。
しかし残念ながら、このときは悲しいことばかり言われてほとほと参っていた。ぐずぐずした気持ちでラウンジへ行き、パートナーと母に電話をかけて、聞いたばかりの話をそのまま話した。聞いてもらうことで幾分気が晴れたので部屋へ戻ると、間もなくしてまたも訪問者である。
 
3人目の訪問者は、管理栄養士のIさん。主に、手術後から退院前まで、どのように食事が変わっていくか説明をしに来てくれた。Sさんの話にビビリ倒していたので、Iさんの口からも悲しいことが語られるのではないかと警戒したがそんなことはなく、終始穏やかに、怯えるような話もなく終わった。
 
この日の21:00までで、自由に食べられるのは最後である。今日は一日中、あらゆる人に「食べたいものがあったら好きなもの食べてね!!!」と言われまくり、ちょっと嫌気がさすぐらいだった。急にそう言われても思いつくはずもなく、けれどもあまりに言われるのでコンビニでティラミスとどら焼きを買った。好きだけれど、別に普段選ばないものたちだが、何か嗜好品を買わなければ!という使命感によって、突然に選ばれたのだった。
 
そういえば、電話をかけにラウンジへ行ったときに、食事のメニュー表が貼ってあることに気が付いた。見るとほとんどが和食メニューである。しかし、この日の夕食はハヤシライス!しかも手作りプリンもつくらしい。貴重な洋食メニューなうえにデザートもあるということで楽しみにしていたのだが、出てきたものはどうみてもハヤシライスではない…アレルギーのせいで、メニューを変えられたのか…?ついているはずのプリンもなかった。悲しい…。病院食だし、食べられなくったっていいんだから!と強がってみるが、やっぱりむなしいものである。ティラミスとどら焼きを食べて21:00を迎えた。
 

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2022.10.12のお話です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
よろしければ、また別の記事でお会いしましょう!
 

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