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映画「聖の青春」

一切の派手さを排除した実直な映画であった。人を驚かしてやろうとか、泣かせてやろうとかがなく、ひたすら真摯に一人の棋士の人生に迫った作品である。

棋士・村山聖(追贈:九段)は5歳の頃、難病「ネフローゼ症候群」と診断される。入院していた病院で将棋と出合い、めきめきと頭角を現し「西の怪童」と呼ばれるようになる。難病を患ったまま、プロの棋士となり「名人」を目指す。だがそこには同世代の天才騎士、羽生善治が立ちはだかっていた。

将棋はまったくわからないけれど、神聖な世界ということが、ビシビシと伝わってくる。

小さな将棋盤はまるで宇宙のようで、そこにはたった二人しか立っておらず、どこまで行っても無限の世界が広がっており、ゴールが見えない。『人が行ったところのない場所』というのは、人間は本能的に恐怖を覚えるようにプログラムされているように思う。だからこそ人間はこれまで生き延びてこれた。その一方で、知らない世界を「見てみたい」「行ってみたい」という欲求は止められるものではなく、多くの冒険家などが命の危険も顧みずに挑戦するんだろう。この作品では「将棋」を使って「頭脳」で人間の限界に挑戦している。

しかし、誰もがこの「孤高の戦い」に挑めるわければない。やはり、そこには選ばれし者しか立つことができない厳しい現実もある。

聖は、普段は掃除もできない食べ物も適当でだらしがなく、大酒飲みで、病気の治療にも無頓着。しかし、いざ将棋になると全身全霊をかけて挑み、圧倒的な知力と湧き上がる衝動をもって、天才・羽生善治に向かっていく。病気だからとか、一切の言い訳がない。

才能もあり、自分の全人生をかけてもいい!と思えるものに出合うのは、果たして幸せなのだろうか?

その答えは人によって様々だろう。しかし、自分の人生をどう「生ききる」のか「生きたい」のか、その一つの答えがここにあった。とはいえ、もっともっと生きたかっただろうな。悔しいだろうな。

この作品は実話であり、今もご存命の人を演じる必要がある(村山氏は他界されているが…)。これは役者さんは大変だっただろうな。松山ケンイチさんなんて20キロ以上も太ったそうだ。東出さん演じる羽生善治さんは今もご存命で超有名人、というか将棋の世界では神様みたいな存在だ。モノマネになってもいけないし、かといって似てないと話にならない。……が、途中からご本人が乗り移ったようになっていて、引き込まれて見入ってしまった。

マツケンが太ったことばかりがクローズアップされていたが、見よ、この名役者ぞろい!!全員いそう!とくに、柄本時生さん、ええわ~~。ヤニ臭そうな感じが出過ぎてる~。出てきた時、ちょっと笑ってしまった。。そりゃ地に足のついたどっしりとした映画になるわ。

そして、この作品にもやっぱりリリー・フランキーが出ていた。面白い映画にリリーさんあり。納得。

#コラム #映画 #映画評 #聖の青春

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