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映画「君の名前で僕を呼んで」

そりゃ当たりだよね。それはチラシと宣伝映像を見た時からわかっていたよ。お見事!マーベラス。

この映画、大変人気のようで、公開から3週間は経っている日曜日の18時50分の回(@大阪ステーションシティシネマ)を見に行った時は満席で見れないという憂き目に遭ってしまうほどの人気ぶり(;;)。ようやく見に行ったレディースデイの18時50分の回(@Tジョイシネマ京都)もほぼ満席。もちろん女子ばかり。

舞台は1983年、北イタリアのどこかの田舎町。17歳エリオは、学者の父親と優しい母と暮らしていた。そこへ父の助手としてアメリカ人のオリヴァーが夏のバカンスを兼ねてエリオの家にやって来るところから始まります。夏の6週間を一緒に暮らすことになり、オリヴァーの自信満々な態度に最初は反発を覚えていたエリオでしたが、オリヴァーと接するうちに新たな感情が湧き上がってきて…。

というストーリーです。

北イタリアの暑く気だるい緩やかな時間と同じようなテンポで映画の時間も流れていきます。
17歳のエリオは知識豊富で、豊かな芸術性も兼ね備えており、それ故に田舎の同年代の子たちがやっていることにも思想にも共鳴することができず、孤独感を抱えていた。さらに自分のセクシュアリティについても確立できていない状況。そこへ突如やってきたオリヴァー。滴るような男性的な魅力に加えて、豊かな知性とユーモア。互いが互いに惹かれ合うのは必然だった……のかもしれない。

様々なことに目覚めをおぼえる少年が、魅力的な青年に出会って、自身を解放し、見つけ出していく。ひと夏の淡い、そして激しい恋が、北イタリアの豊かな自然と共鳴するように描かれており、そこへ音楽の調べや風の音、そして見事なカメラワークが重なり合って、もう完璧な美しさ。こんな美しい映画は他にないと思えるほど、どこを切り取っても絵画のよう。

ゲイの恋愛をテーマとした映画は、昨今ではアカデミー賞を受賞した『ムーンライト』、ブラジル映画の『彼の見つめる先』が思い浮かんでくる。『ムーンライト』ではセクシャルマイノリティ・黒人差別・貧困が、『彼の見つめる先』では視覚障害が、恋愛と絡まってきている。今作で唯一の障害といえは『宗教(ユダヤ教)』という感じでしょうか。

オリヴァーもエリックもユダヤ教。グーグル先生に聞いてみたところ、ユダヤ教での男性の同性愛は戒律を破ることになるそうです。ちなみに女性同士はOKだそうで…不・思・議。

ただ、この映画、美しい少年と青年だからドラマが成立しているが、24歳の青年と17歳の少女が主人公だったら、まどろっこしくて見ていられなかったと思われるほどのベタな展開。楽しく見れたので、私にもBL(ボーイズ・ラブ)を享受できる要素を持っていたってことかな。男×男、あるいは女×女の方が、単純にドラマになりやすいってことはあるのかも。この映画では、そこを上手く活かしていると感じた。このけだるさ、男×女じゃ見ていられない。

この映画には「吹替版」があるのですが、吹き替えで見てたら地獄だっただろうな。英語というか外国語で、彫刻のように見目麗しい男の子たちの組み合わせだったから見ていられるけど、日本語の上にブスだったら絶対吹き出してる自信あり。

そして、この映画のもう一つの見所は、エリオの両親の理解力・包容力。自分の息子がゲイで男性と「アレコレ」なることを許容している。それどころか応援しているのです。しかも、宗教的に許されないことなのに…。ごく普通の日本人家庭に育った娘からすると、これいかに!驚き!!です。

私が17歳頃(当方、女子校育ち)、男の子から電話がかかってこようものなら(当時は家の電話しかないのよ…ポケベルがギリギリ。必要がないと持たせてもらえなかった。しかも、数字表記。若者のみんな、意味わかるかな?)全力で不機嫌、少し帰りが遅くなろうものなら般若の顔付きで待っているという始末。私が女で妊娠の可能性があるから心配するのか、はたまた子供が事件を起こしたら面倒くさいからなのか…。おそらく両方だったのだろう。

しかし、この両親は違うのです。息子の意思・感情を尊重し、息子が傷ついた時にはそっと寄り添うのです。……完璧すぎる……。

親がパートナーと上手くいっていて、さらに自分自身の人生を楽しんでいるからだろうね。だから息子のことも信頼ができる。こんな両親だったら人生変わった気がするなー(遠い目)。

#映画 #コラム #君の名前で僕を呼んで #027 #0523

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