適応障害が、20回転職して気づいた。無理と無茶では生きられない。
都会暮らし54歳が語る、心と体の限界を認めた先にある働き方
「普通の働き方」から解放されるまで
54歳。
転職回数は20回を数えます。
後半の15回は、期間限定の派遣業務を選んでいるからです。
これだけの転職が可能だったのは、求人の多い都会に住んでいたからこそ。地方ではここまでの選択肢はなかったでしょう。
そしてこの数字は、適応障害と社交不安を抱える私なりの気づきの結果です。
最後の職場で起きたこと
20回目の職場は、人権を重んじる組織。以前働いた経験もあり、「久しぶり、またよろしくね」と温かく迎えてもらえました。指名で声をかけていただけたことも、この上ない幸せでした。
それなのに、心の中の声が囁きます。
「また体がきつくなってるでしょう?いい人たちと働けているのに、心も体も疲れ始めているよね?」
悔しいけれど、その通りでした。
適応障害と社交不安との10年
気づきまでの長い道のり
心療内科でカウンセリングを受け始めたのは、パートナーが仮面うつと診断されたことがきっかけ。
私に出された診断は「適応障害」。
それから10年。
社交不安の症状やパートナーの病状などなどから自分も常時抑うつ状態。
そのくせ他人に心配されるのが嫌で、明るく振舞い誤魔化す日々。
社会との付き合い方に問題はないようにみせかけた偽りの生活が続きました。
「仕事ができるようになりたいんです」と繰り返す私に、医師もカウンセラーも「休養が必要です」と言い続けました。
でも、その言葉を受け入れるまでには長い時間がかかりました。
更年期という新たな課題
40代から更年期障害の症状はありましたが、50代に入り更に悪化。
それでもなんとか20回目の職場を契約満了で終えて、そこから2か月ほどはほぼ寝たきり状態と相成りました。
最近はなんとか半日起き上がれるようになったものの、そもそもなんでこんなに体調が悪いのかは、未だに原因不明です。
まあ、更年期障害・・・と思っておくことにしています。
突き詰める方が良いのでしょうが、病院通いというのは、疲れますので…。
新しい働き方との出会い
誰しも、新しい環境に適応するにはそれなりの時間がかかるものです。
しかし、私はいつまで経っても適応するのが難しく、心が苦しくなってくる。
それならばいっそ、適応しないのが当たり前の環境で働けばどうだろう?
短期派遣ならばそれが不自然ではなく、自分自身にも納得させられる。
その結果が短期派遣という働き方でした。
限界を認めた先に見えたもの
数年前の日記の余白には「1ヶ月休んで、2ヶ月後には仕事探し...」という夢のような計画が書かれていました。
でも現実は違いました。
体調は思うように回復せず、そうしてようやく認めることができたのです。
私には「普通の働き方」は向いていない。
「一般的な解釈とは違うかもしれないけれど、でもあなたはやはり虚弱体質なんですよ」
そうカウンセラーが言っていた言葉が身に沁みました。
それでも、道は開かれている
驚くことに、54歳の今でも派遣の仕事紹介は途切れません。
短時間・短期間という新しい働き方にシフトした今、むしろ以前より自分らしく働けているように感じます。
心身の不調を抱えながら働いている方へ。
確かに、この働き方では都会の賃貸暮らしを維持するのは簡単ではありません。
もしかすると、将来的には社会資源の活用も視野に入れる必要があるかもしれず、試行錯誤の日々です。
でも、「普通の働き方」に耐えられるかどうかを知るのは私だけ、あるいはあなただけ。
私は医師とカウンセラーに「短時間・短期間で働く」と宣言しました。
彼らの「うん。そんな方法もあるよね」という言葉に、大きな救いを感じました。
色々な不安はありますが、それでも人生にはそれなりの楽しみがあります。これでいいと認められた今、私は以前より穏やかに生きています。
これを読んでくださった方は、多分働き方に悩んでいるのではないでしょうか。
それぞれの体調、希望がある中で、何が正解かは分かりません。
それでも、あなたの心と体が楽になるための生き方がみつかるといいですね。