「100日後に〇〇する私」その2
7月9日頃、このような記事を書きました。
「うちにグランドピアノ!を置くぞ!」という内容。
あれから、約50日。
あと、一週間ほどで、
ホントウに、
ウチにグランドピアノが、くるのです!
はずです!
ですが、
まだ!足の踏み場がないリビング!
これを、なんとかする!が、ミッション!
時間はあったのに〜、と、
後悔、、、しそうなのですが、あら不思議、
「あれも必要な時間だった。休息の時間だった。」という心境。
いままでなら、
「さー、そろそろ、アドレナリン出して、片付けよう!おりゃー!!」
と、一人でがんばりだして、
(おそらくその後、空回りする)
ところを、
今回は、
「家族と体制を組み、新しい秩序で生活していこう。」
と考えることにしました。
これまでですと、
「家族に協力してもらい」なんて、
こちらからお願いする的な発想でいたのですが(それでもほぼ頓挫する)
いやいや、もう子どもたち小学生だし、
パートナーも
いいかげん家事のペースつかんだろうし、
(家計を、まさかの!ノールックスルーパスで右→左されているので、家事は私がお返ししている。何度も「分担しよう」「計画的にやりたい」と言うのに「できる方がやればいい」と。それは「できないことはそのまんま」となっているのです。おそろしい。)
そこに、家族の協力体制の意識のカケラはない(パートナーは、あるつもりかもしれませんが、私の思考はそこでストップ)ので、もちろん、家は荒れ放題。
「俺が出して片付けたものは無い」(のに、なぜ片付けないといけない?)
などと、すっとんきょうなことを言う、考えて生きているパートナー。
あなたが出していなくても、子供が使ったもの、子供のものはいくらでも出ている。
それを片付けるのは誰だ?
子供?
子供が片付けられるような状況になかろう!!
さらに、
「俺は、それを買っていない」
ふんぐーーー
それ、どころが、あんたが買わないいや買えないから私が買ってんだ!!!!
かと思えば
出張先で、こちらにはないお店の(と言っても量販店です)子供服のセール、、、
お土産に買ってきた
だーかーらー!!
そのサイズの服はたくさんあるって言ってんだろーー
という堂々めぐり、、、
とも、おさらばです!!
グランドピアノは、片付けのため、、、?(笑)
いやいや、人生100年!の老後のため!(笑)
「残り50日で、断舎離する私」
さーがんばろ、いや、楽しもう!
と、ここまで書いてきて、
パートナーは、言われたことを受け入れ聞くタイプではなく、
体感して覚えるタイプなのだと痛感しています。
メモメモ。